April 21, 2010

サクラと日本人

 NHK教育TV「歴史は眠らない」で放送された。ウェールズ系日本人の作家C.W.ニコルが案内役だ。いろんな国を知っている人ほど日本の伝統や文化、歴史を鋭く観察する感性を持っている例は少なくない。C.W.ニコルさんもその典型で、一般の日本人が見過ごしてしまうことに光を当て的確に表現してくれる。森の生活を愛し、自然環境保護の活動家としても名高い。

閑貞桜

閑貞桜黒姫山の麓に広がる信濃町。C.W.ニコルさんはこの町に暮らして30年になる。そこに彼がひときわ思いを寄せる一本の桜の木がある。地元で古くから親しまれている樹齢500年のシダレザクラ「閑貞桜」だ。

「僕が最初に黒い姫に来たとき、花見でここに案内してもらった。なんて美しい古い木だと思いました。何百年もいろんな伝統があって、ずっと生きてきた。僕はこの木と同じ惑星に立っていることを、大きな誇りに思っています。感謝を感じています。」

20年ほど前、この桜が病気で衰え今にも枯れそうになった。ニコルさんは樹木医を招いて治療を行った結果、桜は生きながらえることができた。

「22歳のとき、東京オリンピックの2年前に始めて日本に来た。本当に日本は元気でしたね。高度成長はすばらしい時期だったけど、途中で何かを失い始めたんじゃないか。その象徴が桜だ、桜です!」

桜博士

明治から昭和、国花としてもてはやされた桜。しかし、終戦から高度成長期にかけて桜は日本人の心は桜から離れていった。戦後の混乱期、上野を初め東京のいたるところで、桜の木は薪にするために伐採された。そして高度成長期、各地で道路建設や宅地造成などに伴い、多くの桜が姿を消していった。

そうした桜の惨状を歯がゆい思いで見ていたのが、笹部新太郎だった。大阪造幣局の「桜の通りぬけ」など各地の桜の保護に尽力し、桜博士と呼ばれた人物だ。彼は手記の中で東寺の桜をめぐる状況をこう述べている。

「戦争で忘れられることがっても、桜はいつも平和の回復とともに思い返されるのだが、今になってもただ滅びるがままにほってある」 (櫻男行状より)

1960年、櫻の行く末を案じていた73歳の笹部のもとに、一本の桜を救って欲しいという依頼が飛び込んだ。当時建設予定の御母衣ダムの湖底に沈む運命にあった荘川村の桜である。光輪寺境内にあったエドヒガンザクラ、村人たちにとって特別な思いのある木だった。

樹齢400年の桜

荘川桜ダム建設が決定したとき、国家公益事業の犠牲者になって立ち退きを余儀なくされる250戸1200人の村人たちに何かを残したいという思いをもっていた人物がいた。電源開発の前総裁(当時)、高碕達之助だ。選んだのがエドヒガンザクラだった。彼は桜博士の異名をもつ笹部に、この桜を高台に移植して欲しいと頼んだ。

しかし、樹齢400年の老木の移植は前代未聞。不可能に近い難事業だったが、笹部は引き受けた。「これに失敗したら今後もう桜を語るまい」・・・。彼には、桜が育んできた豊かな文化を省みなくなった時代の風潮に対して強い危機感があった。そうした想いが笹部の決断を後押しした。

桜は高さ30メートル、重さ40トン。あまりの巨大さから大型クレーン車でも持ち上げることができなかった。重量を軽くするためには、止むなく枝を切り落とさざるを得なかったという。小枝を切るとそこから枯れていくというデリケートな桜の移植に挑戦した。村の人たちは桜が蘇るとは誰も信じなかった。枝など切り落とさずにダム湖で静かに成仏させてやったほうが良かったといった。

移植から一年半経った1962年春、笹部が待ちに待ったことが起きた。桜が花を咲かせたのだった。6月、その桜の下でダムに沈んだ村をしのぶ式典が開かれた。ほかの土地へ散りじりになっていた500人の村人たちが集まった。

「誰も彼もみな、このわずかに生き残った
桜の幹を手でなでて、声をあげて泣いていた」 (櫻男行状より)

生き残った荘川桜

新しい生活のために一度は桜をあきらめた村人たち・・・。しかし、生きながらえた桜を前にして再びかけがえのないふるさとの思い出が蘇ったのである。その桜は「荘川桜」と名づけられ、今もダムに沈んだ村を見つめ続けている。荘川桜が満開の花をつけるようになったのは移植から10年後のこと。それ以来、村人たちは毎年この桜の木の下に集いふるさとを偲ぶようになった。

移植から50年、樹齢450年の桜は高度成長の犠牲となった村の生き証人である。
ニコルさんは語る。

「戦後、日本人は経済の復興ばかりに目が向いていました。荘川村の人たちは経済発展の犠牲になりふるさとを失いました。長年の歴史、おそらく何千年の歴史、そしていろんな家とか神社とか学校とか、日本の歴史の大事な一部がこのダム湖の犠牲になりました。しかし、笹部先生と周りの人々の濃い愛情、情熱で、今もその桜の木が残っています。桜の木が生き残って、我々に失ったものを語っているんじゃないですかね。」

荘川桜は、日本人が桜への愛着を再び取り戻すきっかけになった。以後、日本各地で桜の景観を保護しようという機運が高まった。

「桜の国」の復興

1964年、「日本さくらの会」が発足し、全国の学校や公園にさくらの苗木を配布し植樹運動を展開した。その数は300万本にのぼった。こうした活動により、戦後経済発展の犠牲になっていた桜の景観が各地で蘇ってきた。日本は再び「桜の国」となった。

「経済や効率だけが優先される時代の中でも、日本人には桜への強い愛着があるんだと改めて感じました。桜は日本人にとって大切な文化です。心のふるさとです。古来から日本人が桜の下で生み出してきた豊かな文化をどうやって残していけばいいのか。この美しい花の時期に、皆さんにじっくり思いを巡らせてもらいたいと思います。」

【参考サイト】

March 23, 2010

日本の先住民

どの国にも先住民と呼ばれる人々がいる。日本ではアイヌの人々だが、小笠原諸島、東京都小笠原村にも先住民といわれる欧米系の移民がいた。

1830年、父島扇浦に移民したナサニエル・セイヴァリー(Nathaniel Savory、1794年-1874 年)が先住民の祖である。1953年、ペリー提督が寄航し植民地政府樹立を計画したときにセイヴァリーを移民の頭目に選んだそうだ。

1861年、幕府が小笠原の領有を宣言し、先住民の保護を約束。翌年八丈島から38人が入植した。1880年に東京府に移管され、1882年には欧米系住民がすべて日本に帰化した。

太平洋戦争時には本土防衛の前線基地となり、島民6886人が本土へ強制疎開させられた。戦後はアメリカ海軍の統治下に置かれ、欧米系の家族135人だけが帰島を許可された。

入植から180年、過酷な歴史に翻弄された小さな島には、いまも欧米系の開拓者たちの子孫が暮らしている。島のシンボルでもある聖ジョージ教会は、 Chapel of Peace 平和の教会と呼ばれ、島民の平和を祈る場所となっている。

「人種を超え、平和を訴えていく大切な場所。ここを守っていくのが私の使命です」というのは、牧師の小笠原愛作さん。1909年の教会設立当初の牧師、ジョセフ・ゴンザレスさんの孫である。

欧米系移民の結婚式


戦前の聖ジョージ教会での、欧米系島民の結婚式の様子。西洋の華やかな衣装に身を包んだ女性らが、大勢お祝いに駆けつけた。大正末期から昭和初期にかけては、小笠原がもっともにぎわっていた時代だ(小笠原村教育委員会提供)


February 2, 2009

世界遺産 ビスカヤ橋

〜NHK探検ロマン「ビスカヤ橋」から〜

Bizcaya

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November 5, 2006

ドレスデンの街とマイセン磁器

友人がベルリンの出張の帰途、ドレスデンに行ったとのこと。私も二回行ったがいずれも仕事のため街中を見学したことはない。チェコ国境に近い街である。人口が確か50万人くらいのドイツ東部で一番大きい街である。人口からいえば都市というべきであるが、歴史あるところは都会ではなく街であって欲しいと思う部外者の勝手な思い込みがある。

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July 22, 2006

「平泉」を世界遺産に推薦

奥州藤原氏の拠点、平泉を「浄土思想に関連する文化的景観」として、世界文化遺産に推薦することを決めた。国際記念物遺跡会議による審査の後、08年のユネスコ世界遺産委員会で登録されるかどうかが決まる。日本政府が過去に推薦した遺産は、すべて登録されているという。

 平泉は11世紀末~12世紀にかけ、金資源や交易などを背景に、奥州藤原氏が造営した政治・行政の拠点。対象地域は、藤原氏三代の遺体などを納めた中尊寺、浄土庭園で知られる無量光院跡、同氏の政庁跡と考えられる柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡、金鶏山など9資産、約8800ヘクタール。 (朝日新聞 2006年07月21日20時59分)

October 1, 2005

世界遺産ベスト30

NHK 世界遺産の旅 ベスト30




August 2, 2005

モルドバの壁画誕生の謎

ルーマニア北部のモルドバ地方にある教会の数々。現在7つが世界遺産に登録されている。その中でも最も美しい教会が北部のモルドバピツァ村にある。高さ8メートル、幅25メートルの壁一杯に絵が描かれている。聖書に登場する聖人や予言者の絵で埋め尽くされている。教会の中も壁一杯に絵が描かれている。450年前に描かれた壁画である。いまも鮮やかな色彩を維持している秘密は何か?教会の中も外もなぜこれほどまでに絵が描かれたのだろうか?なぜモルドバ地方にはこうした教会がいくつもあるのだろうか?

それらの多くは15−16世紀に描かれた。当時はまだルーマニアという国はなく、周囲を大国に囲まれた小さなモルドバ公国があった。壁画が描かれた15世紀はイスラム世界のオスマントルコとの戦いの中にあった。過酷な時代を生き抜くために、キリストの受難を自らの運命に重ね合わせて、心の支えとして描かれた。

フレスコFrescoとは、イタリア語で「新鮮」と言う意味で、漆喰が乾かないうちに絵を描く手法。世界からモルドビアンブルーと賞賛された青色は450年以上も色落ちせずに残っている。

アゼライトは銅を含んでいるため化学変化を起こしやすい。なのになぜ色あせないのか?その秘密は漆喰とアゼライトの間の木炭にある。これにより光を遮断し、漆喰には接着しやすいように麻のくずとチーズを混ぜる技法が、長い風雪に耐えて美しい青を保持しているのである。

July 16, 2005

人魚のマナティManatees

船乗りによると「大変な美女で、上半身は裸。綺麗な形のムネ。時には子供を抱き、美しい声で歌う」という。正体はジュゴンやマナティーという哺乳類の見間違えと説明されている。日本ではジュゴンの方が親しまれているようだが、アメリカではマナティManateesである。生物学的には同じ系列で親戚関係にあり、イルカも遠い親戚かもしれない。イルカと同じような形の尻尾をもったのがジュゴンで、しゃもじの形をしたのがマナティだそうである。

写真はSCUBA Diving Club 「Manatees」オーナー山崎さんが撮影したもので、わたしは陸から目撃した経験があるだけである。仕事の合間を縫って訪れたフロリダのマナティ保護地域で幸運にも見ることができた。

July 12, 2005

Ruby Falls and Biltmore Estate

Ruby Falls on Lookout Mountain - Chattanooga, Tennessee
The Chattanooga, Tennessee area is blessed with not one, but two legendary roadside Americana attractions which are Rock City and Ruby Falls. Both of these classic tourist destinations (Rock City opened to the public in 1923, Ruby Falls in 1929) are family owned to this day which is a modern wonder in the age of homogenization in America evident by a coast to coast glut of franchise restaurants and shopping malls. Ruby Falls is located in the limestone layer of the mountain. As the subterranean streams found their way through the crevices, the water dissolved the limestone and released an acid which aided in the formation of the Ruby Falls.


Biltmore Estate in Asheville, North Carolina, America's Largest Home, gardens, winery, four-star inn, romantic getaway, and a four-star inn on 8000acres in the Blue Ridge Mountains.

July 5, 2005

Great Smoky Mountains National Park



先月25日から10日間ほどアメリカを旅した。ジョージアとテネシーが中心で、Ruby Fallという洞窟の中の滝やアメリカの個人の家としては最大といわれるBiltmore Houseなどを見学した。いずれも、年間900万人が訪れるという国立公園Great Smoky Mountains National Parkの周辺に位置する。

後半はカリフォルニアの家の庭の手入れと家財道具の整理に追われた。読みたい本を数十冊を手荷物で持って帰った。サンノゼから成田に着いたその足で重い荷物を引きずりながら大阪に来た。サンノゼから15時間以上の長旅で、機内映画を楽しむこともなく眠りに眠った。二度の食事はしっかりと
残らず食べた。うまいまずいの問題ではなく、生きる本能が要求するエネルギー補給である。

部屋から手軽にインターネット接続ができるサービスを提供するホテルに泊まっており、久しぶりにアクセスしている。明日は幹部社員の商談推進研修の講師を一日やって、翌日からは東京で二日間講師である。体力が持つかどうか心配ではあるが…。

February 27, 2005

東巴文字

象形文字には甲骨、ヒエログリフ、トンパ(東巴)の三つがあるという。甲骨文字とヒエログリフについてはその歴史的背景を含めてある程度知っていたが、トンパ文字についてはよく知らなかった。三つの象形文字の中で現在も使われているのがトンパ文字で、いま日本で静かなブームになっているということを、電網写真館 asia photo netというサイトで知った。

上の写真はトンパ研究所に保管されている古いトンパ経典(象形文字経書)


このホームページに「とんぱ酉」のアニメーションがある。鳴き声は、日本の鶏とおなじで、わたしにはコケコッコーと聞こえる。トンパ(東巴は、中国雲南省の少数民族(55あり、そのうち23が雲南省に住んでいるとのこと)のひとつであるナーシー(納西)族(naxi zu naxi ethnic minority group)が使っている象形文字だそうである。[写真はChina Internet Information Centerより拝借した]

雲南納西族東巴文字に、「トンパ文字」のすべてがある。トンパ文字と画像がたくさん使われており、トンパ文字辞典やトンパおみくじもあるユニークなページである。関心のある人は訪問されると良い。

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February 14, 2005

The History of Valentine's Day


きょうはバレンタイン・デーである。日本では、クリスマスと同じようにたくましい商魂が全国的な行事にしたてあげた。それにしても、「女性が好きな男性にチョコレートを贈る日」とした人の戦略性には敬服する。しかし、いつのまにか「好きな」が不必要になって、「義理チョコ」がまかり通るようになったのも商魂ゆえか、それとも職場であからさまに目当ての男性だけに贈るのははばかれると思う日本女性の奥ゆかしさからか?…などと考えるのは古い時代の人間だけだろう。いまや、この日に関係なく人目もはばからずチョコレートでベトベトした気持ち悪さが東京周辺で横行しているのも現実である。

そもそも欧米では「聖バレンタイン」とは何者で、「バレンタイン・デー」にはどういう謂れがあるのか?The History Channelでは以下のように解説している。

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February 11, 2005

キトラ古墳­

今年の正月にNHK特集で「キトラ古墳」を見た。歴史は好きなほうで、歴史にかかわる本やTV番組に関心を示す私であるが、キトラ古墳についてはほとんど知識がなかった。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡についても、その歴史的背景を含めて知ったのはこの三年である。遺跡を訪ねて古代の人々の生活に思いを馳せたのは、三内丸山遺跡だけである。


今日PCのディスクを整理しているときに、「キトラ古墳」の録画ビデオがあるのに気が付いた。キトラ古墳の説明ではなく、日本の貴重な文化財を守る人々の真剣な取り組みを描いたものだった。「石室開封~キトラ古墳・壁画修復への挑戦~」と題するドキュメンタリーである。


この古墳の石室は、幅約1m 長さ約2.6m 高さ約1.3mの大きさ。1983年のファイバースコープによる内部探査で、北壁に描かれた玄武が確認され、注目を浴びたとのこと。その時はアメリカに駐在しており、日本のニュースに触れることはなかった。大阪市立科学館のキトラ古墳のはなしによると、1998年の調査で、新たに白虎像、青龍像、天文図が発見され、2001年までの数次にわたる探査の結果、石槨内の壁画の全貌が明らかになったという。





昨年の保存状態の確認調査で、入り口付近でカビが見つかり壁画の修復に乗り出した。幅1m、高さ1.3メートル、入り口は40cmしかない狭い石室で、しかも湿度100%のなかでの作業はたいへんな忍耐が要求される。これを担当したのが、東京文化財研究所の山本記子研究員。玄武、青龍の壁画部分の漆喰は石の壁からはがれ、放置しておくと崩れ落ちる危険がある。


修復の準備のために始めて石室の中に入って壁画を直接見た山本研究員はいう。

「こんなすごい造形物があるのだと感激した。人の目に見えないような細かなところまで描かれている。それは、自分の技術を人に見せるためではなく、もっと大きなものに動かされた結果ではないか。だからこそ、純粋できれいなものを感じる。」

過去20年にわたり文化財の保存修復に取り組んできた専門家の言う言葉には真実がある。


文化財保護は、現場での保存が基本とのこと。しかし、1972年に発掘されて有名になった高松塚古墳の壁画に修復不可能な黒カビが発生した例があり、同じ失敗を避けるために剥がれ落ちそうな部分を取り出すことが決定された。その作業は、素人には思いもよらない困難な作業であることを、TV番組は描いていた。30センチ四方の一部をとりだすだけで不測の事態への対処も含め、5時間もかかった。湿度100%の中でひざまずいたままでの作業、技術と忍耐力、そして冷静な判断力が1300年前の壁画を救い出したのである。はずされた白虎と青龍を見る専門家たちの表情は大きな感動に包まれていた。「すばらしい...」という以外の言葉が見つからない。

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February 1, 2005

The Origin of Species

Charles Darwin
"I have called this principle, by which each slight variation, if useful, is preserved, by the term Natural Selection."

種の起源 第14章

「生命はあまたの力とともに、最初わずかなもの、あるいは、ただひとつのものに吹き込まれ、この惑星が、確固たる重力法則に従い 回転するあいだに、かくも単純なはじまりから、きわめて美しく、きわめて驚くべき 無限の形態が進化し、今も進化しつつある。
この見方の何と壮大なことか....。

もしも生物が進化し続けるとするなら、しょせん人間は長い歴史の中の束の間の存在でしかないだろう。

しかし、人間とは果たしてそれだけの存在だろうか....

人はただ自然にまかせて滅びることはない。何故なら人には、弱い者を、不自由な者を、劣った者を、不利益から守るという叡知が、さずけられているのだから....。」

窶任harles Darwin, "The Origin of Species"

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January 7, 2005

ポンペイ-古代ローマ2000年のタイムカプセル

ポンペイ-古代ローマ2000年のタイムカプセルを開く

December 26, 2004

竹取物語のふるさと

かぐや姫情報

「口頭伝承のかぐや姫
竹取物語と「壬申の乱」
竹取物語(国民文庫)
竹取物語への招待

October 29, 2004

RedSoxで大騒ぎのボストン

ボストンRedSox優勝 & 事故その後

先週21日から一週間Bostonにいて、昨日帰国した。しばらくメディアから遠のいており、野球ファンでもないわたしはワールドシリーズのことを知らなかった。プライベート・ビジネスでたまたまBostonに行った。ローガン空港からホテルに向かうタクシーの運転手の話ではじめて知った世事に疎いわたしでした。

滞在ホテルがFenway Parkに近いこともあり、Coply PlazaやPrudential Center、ショッピング街のNewbury近辺を毎晩のようにうろついたが、出会う人たちとの話はRedSoxのことばかりという感じだった。「みんなでRedSoxを語り応援しよう......」といったメッセージを掲げたレストラン・バーが多く目についた。テレビはいつ見てもRedsox関連のニュースばかりといってもよいくらいで、RedSoxに狂乱する......といっても過言ではないボストンだった。

1万人の群集が町にあふれ出し、群集心理の暴発を抑えるために警察が警戒し、Pepper Spray Gunで死亡者を出すなどの事件も起こった。18年ぶりのアメリカンリーグ優勝、そして86年ぶりのワールドシリーズですからボストン市民・RedSoxファンが熱狂するのも無理がない。これを機会に、野球音痴のわたしが知ったのは、あのベーブ・ルースがRedSoxに投手として所属していたことだった。子供の頃に知った「ホームラン王」としてのベーブルースの名前しか知らなかった世離れしたわたしでした。

October 17, 2004

ホテル滞在費と日米間の航空運賃

Sheraton Boston

明日、Unitedでアメリカに旅立つ。もうひとつの自宅で休養と少々のプライベートビジネスをしたあと、Bostonに飛ぶ予定である。

Sheraton Boston Hotelを予約した。一等地にある高層ホテルですばらしい眺望が楽しめる。今回は、Sheraton Awardを使った。過去20年Sheratonに多く滞在したので特典が溜まっている。通常料金一泊480ドル、スペシャルディスカウントでも税金12.5%をふくめると300ドル以上チャージされる。アメリカでは異常なほど高い。通常のビジネスホテルは100〜200ドル(Sheraton,Mariott,Westinなど)、モーテルは100ドル以内が普通であることを考えるとSheraton Bostonは超高級ホテルなのかもしれない。値段だけはRitz Carlton並である。

これに較べると航空運賃は日本で購入してもずいぶん安くなったものである。エコノミーチケットを昨日予約した。成田ーサンフランシスコ往復が85000円である。一ヶ月前に購入すれば55000〜65000円というから、東京から北海道や九州に行くのと同じ値段である。これより多少高いが、出発の二日前にインターネットで手配できるのがありがたい。

San Francisco-Boston往復は、United直行便で850ドル(93000円)。国際便の料金より高い。しかし、1stopの格安料金がある。260ドルである。飛行時間5時間半、距離4000キロを飛ぶことを考えると安いものである。ただし、このチケットは1週間以上前に買う必要がある。とにかく航空運賃はさまざまで、条件をよく調べて購入すべきである。

日本ではHISの海外旅行チケットが得安と聞いていたので調べたが、今回のような緊急の旅ではUnitedのチケットと料金は変わらなかった。Unitedがキャンペーンをやっているので結局Unitedで買った。

それにしても海外旅行は手軽になったものである。料金を見ても20年前のアメリカ往復料金はわたしの一年分の給料だった。出張では、空港までみんなが見送りに来てくれたものである。10年前くらいになると誰も気にかけなくなった。わたしも一ヶ月の1〜2回の頻度で往復するような生活であった。ずいぶんと命を縮めたのかもしれない(苦笑) しかし、その一方でマイレージの特典もふくめて各国を仕事で旅する機会が得られた。