April 21, 2010

サクラと日本人

 NHK教育TV「歴史は眠らない」で放送された。ウェールズ系日本人の作家C.W.ニコルが案内役だ。いろんな国を知っている人ほど日本の伝統や文化、歴史を鋭く観察する感性を持っている例は少なくない。C.W.ニコルさんもその典型で、一般の日本人が見過ごしてしまうことに光を当て的確に表現してくれる。森の生活を愛し、自然環境保護の活動家としても名高い。

閑貞桜

閑貞桜黒姫山の麓に広がる信濃町。C.W.ニコルさんはこの町に暮らして30年になる。そこに彼がひときわ思いを寄せる一本の桜の木がある。地元で古くから親しまれている樹齢500年のシダレザクラ「閑貞桜」だ。

「僕が最初に黒い姫に来たとき、花見でここに案内してもらった。なんて美しい古い木だと思いました。何百年もいろんな伝統があって、ずっと生きてきた。僕はこの木と同じ惑星に立っていることを、大きな誇りに思っています。感謝を感じています。」

20年ほど前、この桜が病気で衰え今にも枯れそうになった。ニコルさんは樹木医を招いて治療を行った結果、桜は生きながらえることができた。

「22歳のとき、東京オリンピックの2年前に始めて日本に来た。本当に日本は元気でしたね。高度成長はすばらしい時期だったけど、途中で何かを失い始めたんじゃないか。その象徴が桜だ、桜です!」

桜博士

明治から昭和、国花としてもてはやされた桜。しかし、終戦から高度成長期にかけて桜は日本人の心は桜から離れていった。戦後の混乱期、上野を初め東京のいたるところで、桜の木は薪にするために伐採された。そして高度成長期、各地で道路建設や宅地造成などに伴い、多くの桜が姿を消していった。

そうした桜の惨状を歯がゆい思いで見ていたのが、笹部新太郎だった。大阪造幣局の「桜の通りぬけ」など各地の桜の保護に尽力し、桜博士と呼ばれた人物だ。彼は手記の中で東寺の桜をめぐる状況をこう述べている。

「戦争で忘れられることがっても、桜はいつも平和の回復とともに思い返されるのだが、今になってもただ滅びるがままにほってある」 (櫻男行状より)

1960年、櫻の行く末を案じていた73歳の笹部のもとに、一本の桜を救って欲しいという依頼が飛び込んだ。当時建設予定の御母衣ダムの湖底に沈む運命にあった荘川村の桜である。光輪寺境内にあったエドヒガンザクラ、村人たちにとって特別な思いのある木だった。

樹齢400年の桜

荘川桜ダム建設が決定したとき、国家公益事業の犠牲者になって立ち退きを余儀なくされる250戸1200人の村人たちに何かを残したいという思いをもっていた人物がいた。電源開発の前総裁(当時)、高碕達之助だ。選んだのがエドヒガンザクラだった。彼は桜博士の異名をもつ笹部に、この桜を高台に移植して欲しいと頼んだ。

しかし、樹齢400年の老木の移植は前代未聞。不可能に近い難事業だったが、笹部は引き受けた。「これに失敗したら今後もう桜を語るまい」・・・。彼には、桜が育んできた豊かな文化を省みなくなった時代の風潮に対して強い危機感があった。そうした想いが笹部の決断を後押しした。

桜は高さ30メートル、重さ40トン。あまりの巨大さから大型クレーン車でも持ち上げることができなかった。重量を軽くするためには、止むなく枝を切り落とさざるを得なかったという。小枝を切るとそこから枯れていくというデリケートな桜の移植に挑戦した。村の人たちは桜が蘇るとは誰も信じなかった。枝など切り落とさずにダム湖で静かに成仏させてやったほうが良かったといった。

移植から一年半経った1962年春、笹部が待ちに待ったことが起きた。桜が花を咲かせたのだった。6月、その桜の下でダムに沈んだ村をしのぶ式典が開かれた。ほかの土地へ散りじりになっていた500人の村人たちが集まった。

「誰も彼もみな、このわずかに生き残った
桜の幹を手でなでて、声をあげて泣いていた」 (櫻男行状より)

生き残った荘川桜

新しい生活のために一度は桜をあきらめた村人たち・・・。しかし、生きながらえた桜を前にして再びかけがえのないふるさとの思い出が蘇ったのである。その桜は「荘川桜」と名づけられ、今もダムに沈んだ村を見つめ続けている。荘川桜が満開の花をつけるようになったのは移植から10年後のこと。それ以来、村人たちは毎年この桜の木の下に集いふるさとを偲ぶようになった。

移植から50年、樹齢450年の桜は高度成長の犠牲となった村の生き証人である。
ニコルさんは語る。

「戦後、日本人は経済の復興ばかりに目が向いていました。荘川村の人たちは経済発展の犠牲になりふるさとを失いました。長年の歴史、おそらく何千年の歴史、そしていろんな家とか神社とか学校とか、日本の歴史の大事な一部がこのダム湖の犠牲になりました。しかし、笹部先生と周りの人々の濃い愛情、情熱で、今もその桜の木が残っています。桜の木が生き残って、我々に失ったものを語っているんじゃないですかね。」

荘川桜は、日本人が桜への愛着を再び取り戻すきっかけになった。以後、日本各地で桜の景観を保護しようという機運が高まった。

「桜の国」の復興

1964年、「日本さくらの会」が発足し、全国の学校や公園にさくらの苗木を配布し植樹運動を展開した。その数は300万本にのぼった。こうした活動により、戦後経済発展の犠牲になっていた桜の景観が各地で蘇ってきた。日本は再び「桜の国」となった。

「経済や効率だけが優先される時代の中でも、日本人には桜への強い愛着があるんだと改めて感じました。桜は日本人にとって大切な文化です。心のふるさとです。古来から日本人が桜の下で生み出してきた豊かな文化をどうやって残していけばいいのか。この美しい花の時期に、皆さんにじっくり思いを巡らせてもらいたいと思います。」

【参考サイト】

April 3, 2010

無縁社会の衝撃

無縁死孤独に亡くなり誰にも引き取られない
無縁死・・・3万2千人の衝撃!

「地縁」、「血縁」、「社縁」という社会のつながりを失い、「無縁社会」という孤独の中で死んでいった人たちの現実が取材された。

NHKスペシャル(1/31)で「安心して老いることができない社会の現実」が伝えられたが、放送と同時にネット上で湧き上がった3万件を越える反響・・・その多くが30代、40代のつぶやきだった。

  • 無縁社会、他人事でないなあ(大学生 男性) 
  • このままいくと私も無縁死になる(会社員 女性) 
  • 将来の自分だな 
  • だめだ心が折れそうだ 
  • 将来自分も同じ道を歩きかねない 
  • 私 かくじつに無縁死だわ 
  • 無縁死はつらいっすねー 
  • 無縁死予備軍だな 
  • 無縁死って俺の将来の姿だなー 
  • 明日の俺だな 
  • アラフォーで独身、チャンスがもうない、がけっぷち。

全国1783すべての自治体を対象に、引き取り手がなく自治体によって火葬・埋葬された人の数を調べた。その結果分かっただけでも2008年に3万2千人もの無縁死が起きていることがはじめて明らかになった。その多くが「単身者」・・・気づかないうちに水面下で広がっていた無縁死。いま一人で生きる人たちの間で不安が高まっている。

家族とも会社ともつながりを失い孤立していく人たち・・・いま無縁社会とも言える時代に直面している。


行旅死亡人の軌跡

行旅死亡人警察でも自治体でも身元が掴めなかった無縁死の人を、「行旅死亡人」と呼んでいる。
番組では一人の行旅死亡人の過去を追跡していた。大田区のアパートで無縁死した73歳の男性。アパートの契約書が見つかり、男性のなまえが小林忠利さんと分かった。なぜ名前があるのに氏名不詳となっていたのか?アパートの住人に聞いても、住人同士の付き合いがなく、家族もいなかったため身元を特定できなかった。アパートの大家の話で、近くの給食センターで20年間働いていたことが分かった。そこに自筆の履歴書が残されていた。

小林さんはどんな人生を歩んできたのか?番組スタッフは本籍地・秋田を訪ねた。土地は人手に渡り、両親も亡くなっていた。小林さんは高校を卒業後、地元の木工所に勤務していたが、32歳のとき会社は倒産。地元に親を残し、東京に働きにでた。小・中学校時代の同級生が見つかり話を聞いた。同期会で話題に上ったことがないという。同期会名簿には「消息不明者」となっていた。同級生90人中19人が消息不明となっていた。

小林さんは両親の死後、故郷とのつながりも無くしていた。

この10年、衰退が一気に進んだ地方都市・・・
都会へ出たまま、故郷へ戻れない人たちは急増している。
 

消息不明小林さんは給食センターを退職後も日雇いの派遣労働を続け、亡くなる直前まで両親の供養料をふるさとの寺へ送り続けていた。東京の無縁墓地に埋葬された小林さん・・・ふるさとに戻ることはできなかった。

ふるさととのつながりをなくし、東京でもつながりを失ったまま無縁死していた。

ごく当たり前の生活をしてきた人が、ひとつ、またひとつ・・・つながりを失い、一人孤独に生き、死んでいった姿が見えてきた。


薄れる家族とのつながり

無縁仏3万2千人の無縁死・・・そのほとんどが、家族がいるのに引き取られないケースだと分かった。いま無縁死の現場でかつてない新たなビジネスが生まれている。「特殊清掃業者」・・・自治体からの依頼で、家族に代わって遺品を整理する専門業者である。ある無縁死の部屋には、息子が引き取らなかった両親の遺骨が残されていた。業者は宅配便でこうした遺骨を引き受ける寺へ送っていた。遺骨が届いていたのは富山県にある寺、高岡の大法寺だった。2008年から行き場のない遺骨の引取りを始めた。都市部から届く遺骨が多いという。

「みんなそれぞれの一生があるのに、人生の終盤にきた時点で孤立をして、まったくどこに埋葬されているのか分からず、その人の痕跡が何も残らないというのは不条理だと思う」 (大法寺・住職)

家族のつながりが薄れる中で無縁死が起きているのではないか?

去年4月に無縁死した常山さん(享年55)・・・かつてタクシーの運転手をしていた。市役所が親族を探したが、誰も引き取らなかった。常山さんの遺体は新潟の大学病院へ送られていた。親族の承諾を得て、学生の実習に使う献体として送られた。

市役所が最初に連絡を取った叔父は常山さんとは疎遠になっていた。それでも供養しようと戒名を取ったが、名前が違うため同じ墓に埋葬することはできなかった。病院の献体への承諾書には常山さんの兄が署名していた。兄はこう話した。

「両親が死んだ後、兄弟は疎遠になり、弟とは10年以上連絡も取っていなかった」
「自分も生活に余裕がなく、弟は病院の無縁墓地に埋葬して欲しいと頼んだ」

家族でさえつながりが薄れ、かかわりを持たなくなっている時代・・・その中で無縁死は起きている。


会社とのつながりを失った人々

無縁死は、将来さらに拡大していく兆しがあることが分かってきた。いま頼れる家族がいない人たちがNPOの窓口に殺到している。家族に代わり亡くなった後の手続きなどを行うNPOが、ここ数年相次いで設立されている。死後の葬儀、納骨、遺品整理などをしてもらう生前契約を結び入会金を納める。最近では、定年退職前の50代で入会する人も増えている。58歳のとき入会した高野さんは、定年退職したとき唯一の社会との接点を失った。

リストラや非正規雇用の増加、そして団塊世代の大量退職・・・会社とのつながりを失ったとき何が起きているのか?

孤独な仕事人生高野さんは一人孤独に死にたくないと有料老人ホームで暮らしている。50代で熟年離婚。ここへ来たのは定年退職してすぐのことだった。頼れる家族もいない暮らし。高野さんは高校卒業後、大手都市銀行に入った。会社中心の42年間の生活。ほとんどが仕事で築いた人間関係だった。仕事で無理を重ねた結果、40歳で体を壊した。糖尿病で1日3食、厳しく栄養管理している。仕事のストレスからうつ病にもなった。

「いま考えたら、あんなに仕事をしておかしいんじゃないかと思う」
「全部ツケが自分に返ってきた感じ・・・」

会社には
「もう行く必要がない」
社会との接点を失った
 

高野さんは仕事を辞めるまで、自分の家族や人生を省みることはなかった。

家族より会社を優先して生きてきた人たち・・・
家族とのつながりを失くし、会社とのつながりも失ったとき、無縁化してしまう姿が見えてきた。


生涯未婚の急増

生涯未婚NPOの合同墓地を生前契約する人たちが増えている。その中で最近目立ち始めたのは独身のまま一生を過ごす「生涯未婚」という人たちである。その一人、若山さんも合同墓地を生前契約した。40歳のときマンションを購入し、以来一人暮らしである。父親を早くに亡くした若山さんは看護師の仕事をしながら家族を支えた。母親の介護と仕事に追われ結婚する余裕がなかった。

「心配なのはここにいて死んでても
骨だけになっても 電話がかかっても
自分にはわからないし・・・」

生涯未婚・・・男性はすでに女性を上回る勢いで増えている。その多くは非正規雇用などで安定した収入を得られない人たちだ。

非正規雇用の犠牲亡くなっていた舘さん(享年57歳)・・・密室のアパートで死後1ヶ月、発見されなかった。留守番電話に残された姉のめっせーじ姉は弟の死を知らず、電話をかけ続けていた。舘さんは、30代半ばで職を失い、その後派遣会社を転々としていた。収入が安定せず結婚することがなかった。


家族を作らず、一人で生きていく人たちが急増する時代・・・
20年後、推定では、女性の4人に1人、男性も3人に1人が生涯未婚になると見られている。

生涯未婚の増加無縁社会の広がりをどうすれば食い止められるのか?
無縁死3万2千人・・・浮かび上がってきたのは

安心して老いることができない社会
安心して死ぬことさえできない社会

の姿だった。


無縁社会・・・

つながりを失った人たちは今、置き去りにされたままだ!
  

December 31, 2009

鳩山総理からのメッセージ

※厚労省およびYouTube動画は埋込み無効なので、転載して有効にしました。みなさんのサイトに貼りつけた方がより多くの人に知ってもらえます。政府サイトでコメントも出来ないのはまるで国民の声に耳を塞いでいるようです。


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年越しで、衣食住の確保でお悩みのかたは、こちらで相談できます。

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浅誠さんと勝間和代さんがTwitterで年越し失業者対策について対談した内容です。

 湯浅さんからの動画メッセージはこちらです。

http://www.youtube.com/user/MHLWchannel

※口コミで存在を知ってもらうためには、動画の貼りつけを有効にして何百万人ものブロッガーに協力を依頼すべきである。政府のページではコメントさえできない!


 

August 29, 2009

1960年代の東京

丸の内私 が入社したのは1969年4月1日。新人教育、工場実習、そしてSE教育を受けたあと配属された職場が、情報処理営業本部システム部第一システム課だった と記憶する。当時のNK部長、NY課長配下にいくつかの班があった。私はIK班に所属し、直属の上司がSAさん、HYさんだった。諸先輩から教えられたこ とはたくさんあり、新米の社会人として進むべき道を示していただいた。この件についてはOB会ホームページに書く。

丸の内の焼き芋

社会人として最初の勤務場所は丸の内仲通りに面したオフィスビルの8階だった。先日、「1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶」で知ったのだが、入社する8年前には丸の内に焼きいもを売りにくる人がいた。

続きを読む≫ "1960年代の東京"

May 26, 2009

高千穂峰

高千穂峰
写真:ウィキペディア

天孫降臨神話の霊峰。標高1573m。学生時代に企業訪問の帰途に立ち寄った。仲間は4人で、前日は霧島温泉に泊まった記憶がある。レンタカーだったのかバスを乗り継いだのか、記憶が定かではない。

鮮明に憶えているのは、赤茶けた火山石に埋め尽くされたような斜面だ。登山口の茶店で買った藁ぞうりを履いて直登した。企業訪問の帰路だったから背広に革靴を履いていたと記憶する。

素足に藁ぞうりだったから、火山石の中に埋もれて傷つき、素足は血にまみれてしまった。その途中で鹿児島から来たという女性4人連れと知り合った。 宮崎へ行く予定を変更して鹿児島へ行った。知り合いがいるところのほうが安心で楽しいからだ。しかし、その後、思わぬ出来事が待ち受けているとは知る由も なかった。甘く苦い思い出だが、「生まれ持った性質は死ぬまで変わらないが、性格は作り変えていくことができる」ということを知る契機になった事件でも あった。

そんな遠い昔を思い出したのは、土曜スペシャル「にっぽん名山紀行」を見たからだ。ウィキペディアほかにある写真をみると穏やかな山容だ。番組で映し出された登山道も、最初は林の中で頂上近くになっても穏やかな道が続いていた。

わつぃの記憶違いだろうか?太古に噴火した火山岩が粉々に砕けて堆積した山の斜面はどこにも写っていなかった。ネットで調べると、私が登ったのは、 車が入っている高千穂河原からの登山道だったようだ。ここからだと標高差600mで、片道2.3Km、1時間半で頂上に立つことができる。

こちらのサイトに私が記憶する斜面に似た写真があった。

高千穂峰
写真撮影:MORIMORIさん

May 7, 2009

20年後の日本

 いまから20年後の日本は? (今夜のNHKスペシャルから)

  • 人口 1割減少
  • 消費税率 18%
  • 失業率 13%
  • 年金受給 28%減少

今後、所得が増えないゼロ成長が続くと、超コスト負担社会になる!
NHKの「あすの日本」プロジェクトが、三菱総研と協力して試算した日本の未来像は暗い。
しかし、それが現実だということだ。

これから20年、日本を第一線で支えていくのは現在35歳の人たちだ。オイルショックの1973年に生まれた団塊ジュニアと呼ばれる世代は、高校を卒業するときに日本のバブルがはじけ、就職氷河期に社会にでた若者たちだ。日本の経済が衰退する中で社会人として生きてきた彼らが、先行きに不安を抱き、収入が増えない中で結婚ができず子育てにも苦労している現実がある。

そうした35歳の人、1万人を対象に実施したアンケート調査の結果は、たいへん哀しい現実を浮き彫りにしている。

  • 将来生活が良くなる 15%
  • 収入はもう伸びない 69%
  • 給料が減った 42%
  • 貯蓄を取り崩した 56%

妻と子供2人を持つ25歳の男性の基本給は昨年から10%カットされ、335万円。住宅手当を含めて年収370万円の生活は苦しい。支出の1/3は住宅ローンの支払いにあてなければならず、家族4人が生活していくためにアルバイトもしなければいけない現実がある。

  • 理想の子供人数をもてない 54%  うち74%が経済的負担のため
  • 働きたい主婦 93%  うち78%が生活の維持のため

1万人のアンケート対象者の66%が転職経験を持つ。所得別に見ると、年収500万円台の人の54%が転職経験があるのに対し、年収200万円未満の人たちの場合、82%が転職経験があるという。

つまり、転職が収入の増加につながらないという事実が見える。

少しでも転職を有利にするために15もの資格を取得した35歳の男性。月収は16万円だという。付き合っていた女性がいたが、その女性の父親から「そんな給料で家族を養っていけるのか」と反対され、結婚をあきらめた。「このままでは世帯を持つことができない」と男性は嘆く。

収入が少ないため結婚ができないと答えた35歳

  • 正社員の人 35%
  • 非正規社員の人 70%

会社が倒産するかも知れないというっ不安があると答えた人が42%、解雇されるかもしれないという不安を抱いている人も30%いる。35歳の平均年収は、1997年に500~600万円だったのが、2007年には300万円になっているという。たいへんな低所得社会になったということだ。

結婚できない35歳女性の出生率は、なんと0.86だという。1940年のとき35歳の人の出生率は1.46、70年には1.28だったという統計数字と比べると最悪の少子化指数を示している。

暗い、哀しい35歳の生活実態、意識を示すアンケート結果になっているが、それが現実なのだろう。社会にでてから良いことを経験していない世代であれば、バブルに沸いた思い出と比較することもないため、淡々と現実を受け止めているのかもしれないが・・・。

ある程度感覚的にはうなづける予想だが、35歳1万人のアンケート結果を突きつけられると、日本の現在そして将来の姿に楽観は許されないと改めて思う。

日本の今後20年間をになう35歳の人たちが希望を持てる社会にするための提言がある。目標とする社会は、次の二つ。

  1. 安定して仕事を得られる社会
  2. 安心して子供を育てられる社会

終身雇用体制が崩れ、企業が社員を守れなくなったいまは、政府が守らなければならない。英仏の事例を紹介しながら、「積極的雇用政策」を実施すべきだという。ハコモノ投資から「人」への投資、職業訓練や就職支援をするということだが、同じことが80年代末から言われ続けている。

フランスでは「子供なくして未来なし」というスローガンの下に、二人目の子供には月2万円の補助金支給する制度が効を奏して、出生率が94年の1.65から2008年には2.02に増加したという。

日本は岡山県、西粟倉村が住宅・子育て支援をした結果、都会から家族が移住したという事例を紹介していた。取材した家族の場合、大阪で家賃10万円、子供を預ける保育園の費用7万円に耐えかねて移住した。150平米の大きな民家の家賃2万円、託児所費用は8000円、二人目は4000円、三人目は800円・・・。住宅と託児所費用だけで14万円も削減できた勘定だ。

三菱総研のシミュレーションによれば、積極的雇用政策を実行すれば25万人の正規社員雇用が増え、GDP成長を20年間で5.7%押し上げられる効果を生む。400億円投資すればGDP成長とともに税収が増え失業手当至急が現象するので、800億円のプラス効果があるという。

このシミュレーションは楽観的に過ぎると思う。右肩あがりで今後20年間もGDPが増え続けるという前提が間違いだろう。ゼロ成長あるいはマイナス成長だという前提のもとに政府も企業も思索を考え早急に実行し、そして国民一人ひとりが所得が増えないという前提でどう生きているかを考えなければいけない。

 

December 12, 2008

振り込め詐欺に注意

今年は金融危機、原材料高騰、食料危機、食の偽装、そして振り込め詐欺など の話題が多かったようだ。昨年一年を表す漢字は「偽」だったが、今年も「」が横行している。自分の身は自分で守らないといけない時代だ。

振り込め詐欺については過去何度も話題になり注意が呼びかけられてきたが、今年また増加傾向にある。先月のメモをみると、今年1〜10月だけで251億円 の被害があったそうだ。一日8200万円だ!

振り込め詐欺の事例

警視庁ホームページで詐欺の手口、事例を掲載している。わかりやすいので一読するとよい。実際の電話の録音も聞ける。

  あなたなら見破れますか?振り込め詐欺の手口
  • 事例1 「携帯替えた」「使い込み」「98万円」の波状攻撃
  • 事例2 「え?うちの夫がちかんだなんて...」
  • 事例3 「お母さん、このままだと何されるか分からないよ...」
  • 実録 息子を装った振り込め詐欺犯人!
  • 実録 複数の声色を演じ分ける振り込め詐欺犯人!

他人事ではなくいつ自分の身に振りかかるか分からない。とくにお年寄りが狙われやすい。ある人のお父さんは数回にわたって1000万円の被害にあってい る。

中国を拠点にした詐欺グループ

電話帳に電話番号が掲載されている、一人暮らしで、ATMを使い慣れていない、携帯を持っている・・・といった条件にあう人を組織的に探し出す。犯罪グ ループは日本でアルバイトを雇って、法的規制の緩い中国・福州に送り込み、一部屋に缶詰にして日本に電話をかけさせる。

ターゲットが特定されると、別の人間が「税金や保険の還付金を振り込むので口座番号を教えてほしい。ATMで直接振り込むから・・・」などと巧みに誘導す る。ATMでの振り込み方を携帯から「親切に」おしえてくれる。

そういう詐欺を成功させるための詳細なプロセス・マニアルが用意されているという。先月、あ る民放の特別番組で放送していた。プロセスと役割重視の仕事のやり方をみごとに実行している。「営業研修」で話すよりもわかりやすい事例だ(苦笑)

詐欺防止キャンペーン

先月半ばから、 NHKが「振り込め詐欺防止キャンペーン」を実施している。萩本欽一とあき竹城がそれぞれ被害防止を呼びかけるミニ番組を流している。報 道・情報番組では、NHKでも民放でも何回も取り上げられている。

今夜のクローズアップ現代では、途中からしかみなかったが、神奈川県警の新しい捜査方法を紹介していた。

口座売買・誘き出し捜査

インターネット上では、「口座の売買」が盛んに行われている。もちろん違法だが、お金が欲しいひとが自分の口座を売って、譲り渡し料を受け取っている。これを買うのが詐欺グループではないかということに目をつけて実際に犯人グループを見つけ逮捕したということだ。

警察が「口座を売る」と書き込みをするわけにはいかないが、口座を買いたいと書き込んだ人物に接触を試みて話したら、「50枠は買わない。250枠なら 25,000円で買うといってきた。50枠とは、ATMでの一日の引き出し限度額が50万円のこと。情報警察官が、横浜駅前で当人と待ち合わせ、任意同行 を求めたということだ。

起訴された中河被告の自供にもとづいて、「引き出し役」、「だまし役」、そして主犯格の犯人まで逮捕できたという。日本で初めてのケースで、ほかの警察で も採用できないかと検討しているそうだ。

※ネットの掲示板で「口座を買います売ります」といった書き込みをすると、犯罪収益移転防止法違反(誘引など)に問われます。先月、警視庁に逮捕された好川容疑者は、ネットで通帳を4〜5万円で仕入れて7万円で約130通を売ったとのこと。売られた口座で、約450万円の振り込め詐欺の被害が確認されている。

November 21, 2008

コンビニ深夜営業の是非

自宅にいて家人がいないときは食事が面倒で、食事の時間が不規則になる。空腹に耐えられなく なると、かんたんな料理をすることもあるが、たいていはコンビニのお世話になる。24時間営業のコンビニは、その名のとおり便利である。そう思うのは都会 に住む人々のライフスタイルが影響している。地方に行くと、お店は夜7時前には閉まり、近くにコンビニもないところが多い。私の実家がある田舎町も同じである。コンビニを必要としないライフスタイルの人が多いから、それを不便だとは感じない。

いま政府の諮問機関で、コンビニの深夜営業の是非をめぐって議論をしている。その背景にはエコライフもあるが、防犯対策も争点となっている。賛成派は、犯罪を誘発したり、若者の溜まり場になるから深夜営業は自粛したほうが良いという。

自粛反対派は、コンビニは深夜の駆け込み寺の役割を果たしたり、災害時の食料や水の供給ができるからという。痴漢に襲われたり誰かにつけられているといっ て、コンビニに駆け込んでくる件数が年間1万3千件あるという。その40%あまりが深夜の時間帯だそうだ。だから、深夜にコンビニが開いていないとかえっ て治安の悪化に結びつくのではないかという意見である。さらに、多くの自治体では地域のコンビニと協力して、災害時に被災者におにぎりを配る、トイレや水 を提供するといった役割が期待されている。コンビニが24時間営業だから災害対応が可能なのだという。

賛否両論があって、双方の歩み寄りが困難な状況にある。コンビニの深夜営業の是非だけを議論すると、どちらの意見ももっともだと思えるからだろう。そもそもなぜコンビニが必要なのかという視点での議論もある。

都会人の働き方も生活もどんどん深夜化し、単身世帯も増え、便利さを求めるライフスタイルが定着したから、コンビニの深夜営業も増えたということだ ろう。とすれば、現代人の働き方も含めた社会全体のライフスタイルをどういう方向に持っていくかという政策論議をしないといけないのではないか。

個人的には、便利さに慣れてしまった都会人としての自分のライフスタイルをどうするかということだ。山小屋にこもって晴耕雨読の生活をすることが自分の理想なのか?

August 24, 2008

数字で見る日本の高齢化

August 14, 2008

美しい日本の体操

内村航平(19)が個人総合2位!日本勢としては24年ぶりの個人総合メダリストとなった。あん馬で二回も落下しながら、大逆転して銀メダルに輝いた不屈の精神は賞賛に値する。一方、日本のエース富田洋之は、吊り輪での落下という不運にもかかわらず総合4位に輝いた。最後の鉄棒の演技は、当代随一の美しさであった。

アテネ五輪の感動を思い出した。有終の美を飾った富田の鉄棒の演技はいまも鮮やかな記憶となってよみがえる。北京五輪団体総合は二位に終わったが、これまでの厳しい道のりを思えば快挙である。富田率いる日本の体操は、若い世代へと引き継がれた。

男子個人総合の表彰式が終わって間もないのに、日本のメディアでは内村航平のニュースで湧いている。富田洋之の影は薄くなった。時代が変わったということだ。若い世代が育っているということは嬉しいことである。

富田選手の鉄棒


内村選手の吊り輪

March 1, 2008

Mr. Roseの光彩と青いバラ

日本のバラを育成し、世界に紹介した人がいた。バラ園芸の勉強をしていくと必ず出会う「鈴木省三」(1913-2000)という人だ。生涯に108種の新種を創り出し、数々の国際コンクールで受賞した世界的に有名な人だと知った。紫雲、聖火、かがやき、芳純、乾杯、天の川・・・鈴木省三が作り出し命名した日本のバラだという。


バラといえば赤色だという先入観があるが、もちろんピンクや黄、白などもある。花フェスタ記念公園の資料では、平成16年3月31日現在、1603品種あるそうである。日本生まれのバラが178品種で、そのうち108種が鈴木省三が創ったというから、彼の果たした役割は群を抜いている。

数あるバラの品種のなかでも「光彩」というバラの美しさには目を瞠るものがある。オレンジ色のバラだが、滅多に見られない。Webで検索しても「オレンジ色のばら」は見つけられなかった。「光彩」だと書いてあるが、ブログによっては紅バラだと書いている。中心部分がわずかにオレンジに輝いているバラの写真もあったが、全体がオレンジに輝くバラはなかった。ほとんどが赤とか紅の色である。本物の「光彩」をみたい。


鈴木省三は、「光彩」を開発するために、70年代半ば頃2000万円の分光器を買って色彩の研究をしたそうである。13年尾歳月をかけて世界で始めて、オレンジ色のバラの栽培に成功したという。その「光彩」はアメリカでの国際コンクール(AARS)で優勝した。1988年のことである。ちなみにアメリカでは光彩ではなく「Mikado」と命名された。1940年以来、AARSで受賞した日本人は鈴木省三ただ一人だ。

もっとも日本の花はやっぱりサクラで、バラは西洋の花で、日本の家庭でもバラが栽培されるようになったのはこの数十年くらいの歴史しかない。薔薇の歴史によれば、ヨーロッパでバラの育種の歴史に大きく貢献したのがナポレオンの皇后ジェセフィーヌで、1829年のカタログには4000種を超える品種があったという。


何千種もあるバラの品種のなかで、青色だけは見たことがない。青色の元であるデルフィニジンという色素がバラにはないそうである。ところが昨年に開催された国立科学博物館・特別展「花 FLOWER〜太古の花から青いバラまで〜」で、青いバラが展示された。

日本人が好む花の色に青や紫があり、私も好きだ。アジサイ、ツユクサ、ハナショウブ、ヤグルマソウなどがある。科学的には、さまざまな色の中でもっとも複雑な仕組みで発現するのが青色だそうだ。青い色素はなく、アントシアニンという赤紫の色素が、淡黄色の成分や金属が複雑に作用して青色の花になるという。複雑な心情の日本人が好む暗黙の理由かもしれない。ともあれ、青い色の花の仕組みが解明されているのは、ツユクサとヤグルマギクだけだそうだ。この仕組みを解明したのは日本人で、花の色の研究は世界の中で日本が一歩リードしているということだ。

さきの特別展で紹介された青いバラは、バイオテクノロジーの成果である。サントリの研究所で、遺伝子組み換え技術を使い、14年の歳月を経て2004年に成功したという。販売は来年の予定だそうだ。

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December 28, 2007

差別意識が残る企業

今朝は、職安の手続きをするために関内に行った。職探しという名目だが、サラリーマンに戻るつもりはない。ハローワーク(どうしてカタカナ英語なんでしょうね)の実態に関心があった。2.5x3センチの写真で、「上部の余白が少なすぎる」なんて馬鹿なことをいわないだろうな、あれが足りないこれがないとか重箱の隅を突っつかないだろうな・・・と思ったが、そういうことはなかった。来訪者も少なく、すぐ窓口で話ができた。休職手続きと保険給付手続きは20分くらいで終わったかな。思ったより早かった。

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June 11, 2007

少子時代の多人数学級のすすめ

SNSのなかで、メンバーのTさんが「ありえない話」について貴重な意見を書いてくださった。少子時代に、「少人数学級はありえない」という指摘である。Tさんは、「・・・一人の子どもに二人の親と4人の祖父母と結婚していないおばさん・おじさんが関わることになります。子どもに関わる親が多くなり、切磋琢磨ができない、ひ弱で自己中心の子どもになってしまいます。」という。これは重要な指摘である。わたしも同感である。核家族化は昭和の団塊世代の特徴であったが、その傾向と未婚の増大が、少子時代における子供たちに与える影響という視点に気づかされた。

これは大きな変化ですね。核家族化が進む前は、結婚している大叔父、大叔母、おじさん、おばさんがいっぱいいたが、みんな自分の家族をもっていた。盆、暮れの薮入りや、年季奉公で祖父母の兄弟姉妹の家族、父母の兄弟姉妹の家族が一堂に会す・・・というのはなくなってしまいましたね。そういうときも、従兄弟や叉従兄弟たち、子供たちがあつまって遊んだものですね。

小学校、中学校も、40〜50人学級が多かった。そのなかで十数人のグループがいくつかできて互いに交流したり、別のグループに参加したり・・・と子供たちは、十人十色の友達を知り、一緒に遊び学んだ。それが、子供たち同士の刺激になり、競争もすれば、協調もする。そうして、善悪の判断も学び、人との付き合い方、社会性をを学んでいったんですね。

成人になっても、人が群れる基本単位は、40〜50人または家族だと思いますね。日本でひとつの集落、日常の生活圏というのは、私の田舎では、50家族(軒)前後が多い。寺や神社がひとつあって、それを中心に家が軒を並べている。昔の呼び方で「小字(こあざ)」といった。それが、さらに十数件の「カイト」(漢字は垣内かな?)に分かれていた。

興味深いことに、アメリカやヨーロッパの地方にいくと、ひつの集落は50軒程度のようですね。もちろん寺や神社ではなく、教会が中心にある。人間が群れるときの最適規模が50くらいということでしょうか。

これはビジネスの世界でもいえるのではないかと思いますが、基本単位は3人、30人、300人・・・といわれることが多い。軍隊の組織では、最小単位の分隊は10人くらいからで、旅団は3000人程度で編成される。これらはリーダーの統率が必須であるため、一課や一小隊は30人が適切なのであろう。

互いに刺激しあって、競争し、そして協調する。切磋琢磨する多人数学級が、子供たちには必要なことでしょう。

July 22, 2006

「平泉」を世界遺産に推薦

奥州藤原氏の拠点、平泉を「浄土思想に関連する文化的景観」として、世界文化遺産に推薦することを決めた。国際記念物遺跡会議による審査の後、08年のユネスコ世界遺産委員会で登録されるかどうかが決まる。日本政府が過去に推薦した遺産は、すべて登録されているという。

 平泉は11世紀末~12世紀にかけ、金資源や交易などを背景に、奥州藤原氏が造営した政治・行政の拠点。対象地域は、藤原氏三代の遺体などを納めた中尊寺、浄土庭園で知られる無量光院跡、同氏の政庁跡と考えられる柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡、金鶏山など9資産、約8800ヘクタール。 (朝日新聞 2006年07月21日20時59分)

August 7, 2005

死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。

 原 民喜は、原爆にあたることの凄まじさを文章に刻み続けた。

「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。」 (「鎮魂歌」より)

「…世界は割れていた。僕は探していた。何かをいつも探していたのだ。廃墟(はいきょ)の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻った。人間はぞろぞろと歩き廻って何かを探していたのだろうか。新しく截(き)りとられた宇宙の傷口のように、廃墟はギラギラ光っていた。巨(おお)きな虚無の痙攣(けいれん)は停止したまま空間に残っていた。崩壊した物質の堆積(たいせき)の下や、割れたコンクリートの窪(くぼ)みには死の異臭が罩(こも)っていた。真昼は底ぬけに明るくて悲しかった。白い大きな雲がキラキラと光って漾(ただよ)った。朝は静けさゆえに恐しくて悲しかった。その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめていた。夕方は迫ってくるもののために佗(わび)しく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉を啖(くら)いはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨(ほうこう)していた。すべてが新しい夢魔に似た現象なのだろうか。廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻った。人間が歩き廻ることによって、そこは少しずつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだろうか。」 (「鎮魂歌」より)

「遠き日の石に刻み 砂は影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」

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August 2, 2005

般若波羅蜜多心経

昔読んだ本の中に「般若心経入門」がある。田舎生まれ育ちの私が大都会での生活に慣れず、鬱屈した日々から逃れるように山登りをしていた頃に買った記憶がある。子供時代に法要のたびに意味も分からないままにお坊さんや周りの人の声にあわせて唱えた「…色即是空。空即是色…」という有名なお経である。正しくは「般若波羅蜜多心経」というそうである。恥ずかしながら今もその内容の意味するところをよく知らない。

Amazonで調べたら、「般若心経入門―276文字が語る人生の知恵」、祥伝社黄金文庫、 松原 泰道 (著) という本があった。まさしくこの本である。20代の頃に買ったが正直いって内容がよくわからずに投げ出した。「松原 泰道」という著者の名前も知らなかったが、20世紀日本の碩学、生きる知恵を語る第一人者だということである。「諸行無常」、「生者必滅」、「因縁生起」、「諸法無我」…など仏教のこころを語る。

子供時代に祖父母に教わった「足るを知る」、アメリカで座右の銘のひとつであった「水五則」も、松原さんが禅から学ぶ人間の生き方として説いている。なんと私は無知であったのかと大いに反省している。この四半世紀のあいだ、「足るを知る」は森鴎外の「高瀬舟」のテーマである…と知ったかぶりで話してきた。「水五則」は、信州の山寺にある掛け軸に書いてある言葉だと、20年以上昔に見たTVドキュメンタリで知った記憶がある。それ以来の思い込みである。「知っている、分かっている、やっている」というのは傲慢さの証である…などと研修で話しているのが恥ずかしくなった。もっと謙虚にならなくてはとわが身を戒める。

July 16, 2005

「漆黒の闇」と「時の終わり」

日本人は、世界の90%以上のひとたちより物質的には恵まれている。しかし、あのルワンダやアフガニスタン、イラクの子供たち、あるいは飢餓大陸にすむ子供たちの透き通った純粋な目を見ておもうのは、ひょっとしたら日本人は自然とともに生きる大切な心を失っているのではないか……ということである。

太古の昔から人間は、日の出とともに働き、日没を迎えてから夜の闇に立ち向かってきた。一日の始まりと終わりを実感しながら毎日を生きてきた。しかし、とくに都市部では一日の境界があいまいで、9 to 5のサラリーマンをのぞくと万人共通の一日の境界はなくなった。


「漆黒の闇」と「時の終わり」に触れることがなくなってしまった。闇夜を知らない子供たちは、「となりのととろ」を空想の世界として関心を示す。時の流れの区切りを知らない大人たちは、去り行く時間に恐れをいだき、駆けるだけの人生に焦燥感を抱く。静かな闇と向き合い、自然の声に耳を傾けることで豊かな感性と想像力を養い、、そして生きることの意味を問うべきではないでしょうか。

闇と向き合う事で養われてきた豊かな想像力が無くなって行くのは寂しいことです。
ときどき”時の終わり”…を見つめてみると良いかもしれません。

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戦争を知らない日本人

世界の先進国で平和な日本に生きる我々は、大変幸せな民族である。世界のいたるところで紛争やテロが発生している現実に目を向ければ、そのことに気づかせられるのではないか。失われた10年、不景気で失業率が5%、リストラの嵐に企業倒産……などといってメディアが騒いだ。しかし、それはバブル経済崩壊前との比較で言っているだけである。貧しく恵まれない世界の国々との比較で考えることも必要であろう。1945年、第二次世界大戦が終結して以後、戦争に巻き込まれていない国は、日本とスイスなど数えるほどしかない。今の日本人には、祖先の記憶がなくなってしまったとしか言いようがないのではないか。わたしも戦争を知らない世代である。身内や親類縁者、友人・知人を戦争で失った経験は、アメリカで体験したこと(911テロ)を除いて、日本ではない。

私をふくめた多くの日本人は、「戦争の現実を知らない」ということと「日本の歴史、とくに明治・大正から終戦にかけての歴史の真実を知らない」……ということに気がつくべきではないか。そのことを教えられたのは、アメリカの友人たちからであった。とくに経営やマーケティングをジョブキャリアとする彼らのほうがよく知っている事実に、わたしは素朴な疑問を抱いた。なぜなのだろう?学校で日本と世界の歴史は学んだはずだ。 

そして、もうひとつの疑問がある。戦後生まれの団塊の世代の多くが、70年安保やベトナム戦争の時代に、なぜ反戦闘争に身を投じたのか?悲惨な戦争の記憶がまったくないのにもかかわらず。わたしはどちらかというと柴田翔の「されど我らが日々」に描かれた諦観や虚無の世界の側であったが、それでも何度か反戦デモの隊列に加わった。当時の若者たちはどうしようもなく迸るエネルギーに満ち溢れていた。そんな燃えるようなエネルギーのはけ口を求めて、ことの是非も分からないままに行動していたのであろうか?

April 17, 2005

Henry Dyer「大日本」

昨日のNHKスペシャル明治第二集「模倣と独創」を見損なった。番組が終わる頃に気がついた。ちょうどHenry Dyer「大日本」(Dai Nippon, the Britain of the East:A Study in National Evolution、Blackie & son、1905)の言葉を引用していた。筆者が常日頃思うことを100年以上前に書いており、たいへん感銘を受けた。

『人々の生活を豊かにし充実させるためには、西洋の科学と文明を利用すべきだが、同時に、日本人の生活と品性の特質を持ち続け、その個性を失わないようにすべきである。…自らの過去を忘れ、独自の特質を棄ててしまうような国民は、真に偉大な国民となる資格がないし、またなれるものではないのである。』  Henry Dyer、「大日本」より

この言葉はいまの日本と日本人に警告していると考える。我々は、世界に誇れるすばらしい日本の文化・伝統を大切にし、後世に受け継ぐ努力をすべきであろう。それが日本が世界に誇れるアイデンティティとなる。

Henry Dyerは東京大学工学部の前身「工学大学校」の初代校長を務め、日本の工学教育制度の生みの親とも言える英国人である。弱冠24歳で選ばれて日本に赴任し初代都検(実質の校長)を務め10年間日本に滞在した。

Glasgow University and Japan

January 2, 2005

3S(スポーツ・セックス・スクリーン)政策

戦後の教育を受け、高度経済成長の時代に育った世代は、アメリカの3S政策の洗礼を受けたのは事実だ、といえるだろう。このことについては別の機会に書きたい。

いまは、私もその政策の波の中にいたが、けっして染まってはいないとだけ言っておこう(笑)

「日本国の刷新・再生」―21世紀研究会―(読者参加型)の中にあるキャサリン・クーの記事、3S政策が参考になる。

October 11, 2004

Glass Ceiling ガラスの天井

Glass Ceilingという言葉がある。天井の向こうに青い空が見えているのに見えないガラスがあってそれ以上は近づけない。人と人の間にも透明のガラスがあって握手をしたくてもできない。お互いの顔が見えているのに。見えない障壁というのがある。アメリカの地域によって言葉の意味が違うことがあるが、マイノリティや女性に、目に見えない差別とキャリアの限界があることを指してglass ceilingといっている。

生まれ育ちや身分の上下なしに、だれでも平等に夢を追いかけ実現できるチャンスがアメリカ社会の中にあることは事実である。しかし、平等かというと、日本人が考える平等という概念とは違うように思う。アメリカでいう平等は、「法の下に平等」だということである。一般社会においては実に多くの偏見と差別が入り混じった不平等がある。だからこそ、法律に照らして基本的人権を守り、国民すべての公平さを確保しようとしているのだと思う。

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September 14, 2004

サッカー思い出の写真

以下の写真は、TV録画画面からキャプチャーしたもので、著作権はNHKほかの原著作者にあります。複製・再配布はできません。

サッカーの基本精神に学ぶ

ヒトラー政権下でのベルリンオリンピック大会。。日本は世界における存在感を高めるために、早稲田大学のサッカーチームを参加させることを決定した。当時、世界はおろか日本国内においてさえ対校試合をする機会さえなかった無名のチームが、忍び寄る軍国主義国家の威信を背負って世界の舞台で戦うことになった。選手のひとり、堀江はロンドンで発行されたガイドブックを読み、みんなで研究しながら対策を練った。しかし、素人ともいえるチームに勝つための妙案があるわけではなかった。初戦でぶつかるスウェーデンチームは優勝候補の強豪である。平均身長185cmの選手たちに、小柄な日本人選手がどう立ち向かえばよいのか。ただ、切れのいい小回りを駆使したショートパス戦法で対抗するしかないと思い定め、その練習にあけくれる。

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日本人は歴史を知らない?

「そんなことがあったんだ。日本人ってすごいなぁ……」と感心するようなことをこの年になって知ったというのが多い。単にわたしの勉強不足に過ぎないのかもしれないが。ただ、「日本人は歴史を知らない」といったのは、アメリカのビジネスマンたちである。ひとりではなく何人もの人からそんな話を聞いた。もちろん、あるときから私自身も意識してその話を持ち出して聞くようにした。最初の頃はショックであった。自分のことを指摘されているのかとも思った。海外生活をすると自己嫌悪に陥るようなことにも気づく。そのひとつが、「日本人でありながら、日本のこと日本人のこと、歴史・文化・風土にいろんな行事、仏教・神道・禅、歌舞伎に能楽、浄瑠璃、茶道や華道などなど……。英語以前に日本語で説明することさえままならないことに気づくでしょう。説明をもとめられているというより、あいては素朴に質問しているだけなのに、どういっていいのか分からず口をパクパク……と恥ずかしい思いをいやというほどしたものである。これほど自己嫌悪に陥ることはなかった。若いセクレタリーに”I hate myself”と変な英語で説明しようとすると、"You have mental problem"といったかどうか忘れたが、とにかく「自分を憎むということは精神的におかしいことだわ」といいたかったんだろうと解釈して、ますます自己嫌悪に陥った思い出がある。いまは、「思い出」となって懐かしくはあるが。

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September 12, 2004

サッカー奇跡の逆転

先週のNHK番組「その時歴史は」で放送された「奇跡の逆転」を見た。今から72年前のベルリンオリンピック大会で日本の弱小サッカーチームが優勝候補のスウェーデンを破った歴史に残る一戦である。当時、ヨーロッパで大きな話題となり日本の存在感を世界に示したものである。そんな歴史的事件とも言うべきことを、今日の多くの日本人は知らない。なぜなのか?番組では、「戦後GHQがアメリカの人気スポーツである野球を奨励したから……」と言葉を濁したような言い方をしていたのが気になった。私も、この奇跡の逆転をどこかで聞いたような気もするが知らなかったというのが正直なところである。すくなくとも小学校から大学までの教育課程の中で習った記憶はない。同じ戦前の話で、野球の沢村投手の伝説的な話はよく耳にしたが。

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