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人類が初めて月に立ち、青い地球を見たのはいまから40年近くも前のことである。しかし、それよりも9年前に宇宙の端から肉眼で地球を見た男がいた。アメリカ空軍パイロットのジョー・キッテンジャーである。ロケットではなく、巨大な気球を使って宇宙へと旅立っていった。31キロの高さまで上って、世界で始めて外側から地球を見た。そしてカメラを回しながら地球に飛び降り、青く光る地球を見たのであった。彼はこんな言葉を残した。
15分前まで私は宇宙の端にいました
まるで「エデンの園」にいるようでした
こんなにすばらしい惑星にいることに
感謝しなくてはいけません

地球はたくさんの命で満ち溢れている。小さなバクテリアから巨大な生物まで、発見されたものだけでも約200万種類を超えている。なぜ地球だけがこんなにもたくさんの命に満たされた星なのだろうか。

地球が存在している太陽系は、何千億もの星がひしめく天の川銀河の端っこにある。そして、この天の川銀河は宇宙空間に何十億とある銀河の中のひとつに過ぎない。しかし、この広大な宇宙の中で、人間や動物など高度に進化した生命体が確認されているのは地球だけ。いったいなぜなのか?それは、地球が考えられないほどの奇跡と偶然の連続で誕生したからだといわれる。

奇跡と偶然が生んだ地球

・ティアとの衝突

46億年前は宇宙空間に漂うただの星屑だった。それが衝突と合体を繰り返して少しずつ大きくなって地球が生まれた。やがて双子の惑星ティアと衝突する歴史的瞬間を迎える。この衝突で地球はティアの一部を取り込み、大きくなって生き残った。大きな引力を獲得したことで、生命の誕生に欠かせない大気と海を留めておけるようになった。ティアと衝突するという偶然がなかったら地球上に生命は生まれてこなかった。

・太陽からの距離

絶妙な距離に位置しており、生命に欠かせない水が液体として存在する唯一の場所という奇跡的な偶然があった。火星にも水は存在するが、その表面温度はマイナス120度にもなる。2005年の火星探査機マーズ・エキスプレスが撮影した映像を見ると、クレーターの中の水は完全に凍っている。太陽に近い金星の表面温度は460度に達し、水はすべて蒸発してしまう。

地球はまさに奇跡的な場所に位置している。その位置が少しでもずれていたら生命を育んできた海は存在しなかった。海は、地球表面の4分の3を覆っている。すべての水を集めて球状にすると、その大きさは地球の直径の10分の1である。このわずかな水が地球の表面を覆い、青く輝く特別な星にしている。海は地球に生きるすべての命の故郷である。


地球は衝突を繰り返し、すべての物質は強力な引力で奥のほうへと閉じ込められていった。中心部の温度は4500度、太陽の表面と同じほどある。このとき水分も地球の奥深くにしまいこまれた。やがて冷えて固まった表面が割れて溶岩が噴出してくる。火山である。火山は。地球内部に閉じ込められた物質を放出する。このとき水も水蒸気となって噴出し、雲をつくり、地球の引力によって上空に引き止められた。そして、数千年も続く暴風雨の時代がはじまった。このときに生まれたのが、現在の海の半分ほど。

残りの半分は、彗星の衝突でつくられたという。これを実証するために、三年前に大規模な実験が行われた。テンプル彗星に衝突器をぶつけ、彗星の内部を観察する Deep Impact Programである。実験は成功し、2億5000万リットルの水分(氷)が放出され、彗星が氷の塊であることが確認された。

原始地球では、毎日何千もの彗星と衝突し、その彗星から残り半分の水が地球に持ち込まれたと考えられている。その後40億年間、海水の量はほぼかわらないまま、この地球上に存在し続けている。

そして。このかけがえのない海で最初の生命が生まれ、38億年という長いときをかけて進化してきた。現在は地球の歴史上最大の生命体が、体重30トン、体長15メートルのザトウクジラHumpback Whale である。

日本のバラを育成し、世界に紹介した人がいた。バラ園芸の勉強をしていくと必ず出会う「鈴木省三」(1913-2000)という人だ。生涯に108種の新種を創り出し、数々の国際コンクールで受賞した世界的に有名な人だと知った。紫雲、聖火、かがやき、芳純、乾杯、天の川・・・鈴木省三が作り出し命名した日本のバラだという。


バラといえば赤色だという先入観があるが、もちろんピンクや黄、白などもある。花フェスタ記念公園の資料では、平成16年3月31日現在、1603品種あるそうである。日本生まれのバラが178品種で、そのうち108種が鈴木省三が創ったというから、彼の果たした役割は群を抜いている。

数あるバラの品種のなかでも「光彩」というバラの美しさには目を瞠るものがある。オレンジ色のバラだが、滅多に見られない。Webで検索しても「オレンジ色のばら」は見つけられなかった。「光彩」だと書いてあるが、ブログによっては紅バラだと書いている。中心部分がわずかにオレンジに輝いているバラの写真もあったが、全体がオレンジに輝くバラはなかった。ほとんどが赤とか紅の色である。本物の「光彩」をみたい。


鈴木省三は、「光彩」を開発するために、70年代半ば頃2000万円の分光器を買って色彩の研究をしたそうである。13年尾歳月をかけて世界で始めて、オレンジ色のバラの栽培に成功したという。その「光彩」はアメリカでの国際コンクール(AARS)で優勝した。1988年のことである。ちなみにアメリカでは光彩ではなく「Mikado」と命名された。1940年以来、AARSで受賞した日本人は鈴木省三ただ一人だ。

もっとも日本の花はやっぱりサクラで、バラは西洋の花で、日本の家庭でもバラが栽培されるようになったのはこの数十年くらいの歴史しかない。薔薇の歴史によれば、ヨーロッパでバラの育種の歴史に大きく貢献したのがナポレオンの皇后ジェセフィーヌで、1829年のカタログには4000種を超える品種があったという。


何千種もあるバラの品種のなかで、青色だけは見たことがない。青色の元であるデルフィニジンという色素がバラにはないそうである。ところが昨年に開催された国立科学博物館・特別展「花 FLOWER〜太古の花から青いバラまで〜」で、青いバラが展示された。

日本人が好む花の色に青や紫があり、私も好きだ。アジサイ、ツユクサ、ハナショウブ、ヤグルマソウなどがある。科学的には、さまざまな色の中でもっとも複雑な仕組みで発現するのが青色だそうだ。青い色素はなく、アントシアニンという赤紫の色素が、淡黄色の成分や金属が複雑に作用して青色の花になるという。複雑な心情の日本人が好む暗黙の理由かもしれない。ともあれ、青い色の花の仕組みが解明されているのは、ツユクサとヤグルマギクだけだそうだ。この仕組みを解明したのは日本人で、花の色の研究は世界の中で日本が一歩リードしているということだ。

さきの特別展で紹介された青いバラは、バイオテクノロジーの成果である。サントリの研究所で、遺伝子組み換え技術を使い、14年の歳月を経て2004年に成功したという。販売は来年の予定だそうだ。