企業の経営者の責任のひとつに「アカウンタビリティ」がある。日本語では「説明責任」と訳されている。政府にも国民に対するアカウンタビリティがある。しかし、その説明責任を果たしていないことが多くある。社会保険の問題も、暫定税率の問題もそうだが、数日前からメディアが騒いでいる「後期高齢者医療制度」もそのひとつである。
役所の担当者が「仕組みが複雑すぎて説明ができない」というくらいだから、一般のお年寄りに分かるはずもない。ということで、これはもう「説明責任」をお役所レベルでは果たせないということだ。
爆笑問題がホスト役の「私が総理だったら」というTV番組では、番組サイトに寄せられる国民の怒りの声を集計して毎回トップ5を発表しているが、昨夜のトップが、「道路特定財源をタクシ代に使用」でタクシー券に年間81億円が使われていることだった。第二位が「年金問題のW謝罪」で、福田首相、桝添大臣が「混乱を招いた。説明が十分でなかった。」と語っていることだ。
どうして前もって十分に説明しないのか?そのことに怒りもあるだろうが、一番の怒りは社会的に守られなければいけない高齢者、いわば弱者を鞭打つような医療制度をつくったのかということだろう。
「医療費削減」が旗印になり、それが目的化したのだと思う。病院が高齢者のサロンのようになったり、過剰な医療や薬剤投与があるから、国の診療報酬額が増大しているという指摘がある。過剰医療を抑制し、医療費を削減をしないと制度が破綻するという危機感があることも事実であろう。
しかし、医療制度改革の目的は、医療費削減ではない。政治家や官僚が考えるべき目的は、「お客様」である国民、高齢者の安心・安全の確保であるはずだ。そういう態度・姿勢で、民意を問い、誠意を持って最善の改革案を考え、説明責任が果たせるプロセスを踏んでいれば、今回のような国民の怒りと混乱を避けられたかもしれない。
75歳以上の人1300万人のうち、月1万5千円以上を受給している、832万人を対象に「年金から天引き」されるという。都道府県によって差はあるが、全国平均では約6000円が毎月天引きされるという。夫婦二人で月10万円に満たない年金生活者はたくさんいる。切り詰めた生活を余儀なくされている老夫婦にとって、月6000円の負担は大きい。
政府の役人は高給取りの身でありながら、二日に一回以上タクシー帰りで、年間500万円も使っている輩がいるから、国民も怒るのである。
NHKクローズアップ現代や民放の特集でも、「長寿医療」(ふざけた呼び方ではないか)問題を取り上げていたが、病院の医療現場でも苦渋の選択を迫られている。国の診療報酬の大幅削減の結果、病院側は外来医療費削減と療養病床(長期入院)の削減を迫られている。その結果、病院でしか介護できない人が入院できる病床が不足していくという事態に追い込まれているという。
医者たちは、「病院の経営上止むを得ないかもしれないが、経営と人の命を秤にかけることはできない」という。そのとおりだ。しかし、国と病院経営者は、「秤にかけろ!」といっているようなもので、秤にかけた結果、「「経営」が勝ってしまうのが現実に起こっているとすれば悲しいことだ。現代版姥捨て山である。
50年以上、家族のため、社会のため、国のために働いてきた夫が寝たきりになり、病院でないと介護できないというのに、その病院から追い出されることを嘆くおいた妻がテレビ番組の取材に答えてこういっていた。
「人生の最後くらいは、安心して横たわれるベッドが欲しい」
そういう厳しく悲しい現実が日本のあちこちに起こっているのかと思うと、世も末だと思うのは私だけだろうか。
格差社会が生む悲劇である。格差社会の先進国であるアメリカを四半世紀前から見てきたが、格差社会とは弱者切捨ての社会である。何度かブログにも書いたが、日本がアメリカのような弱肉強食の社会になっては国が立ち行かなくなる。アメリカの場合はそれでも成り立つのだ。そのことは改めて書こうと思う。