どの国にも先住民と呼ばれる人々がいる。日本ではアイヌの人々だが、小笠原諸島、東京都小笠原村にも先住民といわれる欧米系の移民がいた。
1830年、父島扇浦に移民したナサニエル・セイヴァリー(Nathaniel Savory、1794年-1874 年)が先住民の祖である。1953年、ペリー提督が寄航し植民地政府樹立を計画したときにセイヴァリーを移民の頭目に選んだそうだ。
1861年、幕府が小笠原の領有を宣言し、先住民の保護を約束。翌年八丈島から38人が入植した。1880年に東京府に移管され、1882年には欧米系住民がすべて日本に帰化した。
太平洋戦争時には本土防衛の前線基地となり、島民6886人が本土へ強制疎開させられた。戦後はアメリカ海軍の統治下に置かれ、欧米系の家族135人だけが帰島を許可された。
入植から180年、過酷な歴史に翻弄された小さな島には、いまも欧米系の開拓者たちの子孫が暮らしている。島のシンボルでもある聖ジョージ教会は、 Chapel of Peace 平和の教会と呼ばれ、島民の平和を祈る場所となっている。
「人種を超え、平和を訴えていく大切な場所。ここを守っていくのが私の使命です」というのは、牧師の小笠原愛作さん。1909年の教会設立当初の牧師、ジョセフ・ゴンザレスさんの孫である。

戦前の聖ジョージ教会での、欧米系島民の結婚式の様子。西洋の華やかな衣装に身を包んだ女性らが、大勢お祝いに駆けつけた。大正末期から昭和初期にかけては、小笠原がもっともにぎわっていた時代だ(小笠原村教育委員会提供)