言葉の由来について
Eurekaの由来
ギリシャ語で「見つけた(I have found it.)」という意味。古代ギリシャの数学者アルキメデスが、金の純度を測る方法(浮力の原理)を知ったときに叫んだ言葉が"Eureka!"(エウレーカ。英語での発音はユリーカ)だという由来から拝借し、1987年頃からハンドルネーム(当時はCBネームともいった)として使っている。米国駐在員としての職務のひとつが各種業界・技術動向の調査であった。不得手な英語で情報を収集・分析するのに苦労をした。新聞・雑誌を漁り、電話をかけ、Lexis/Nexis(法律・公開記録情報の検索サービス)で調べ、求める情報を発見したときほどうれしいことはなかった。「Eureka! 見つけた、分かった!」と叫びたくなる。Eurekaを私のハンドルネームとして使い出した後で知ったのだが、Eurekaは米国カリフォルニア州北部にある町の名前であり、有名な掃除機メーカのブランド名、あるいはイギリスにある子供博物館の名前であったりするが、これらとは何の関係もない。
Dharma 達磨大師

梵語(古代インドの文章語)でBodhi-dharma(菩提達磨)という。禅宗の開祖。1990年代初め頃から、私のトレードマークのように使っている。激しい変化の時代の真只中にいる我々には、ぐらつかない軸としなやかな心が求められる。わたしはそれを達磨大師に求めた。ぐらつくことがあっても必ずもとに戻る柔軟な姿勢としなやかな禅の心である。宗教心のためでなく、象徴としての「だるまさん」である。つねに大きな目をカッと見開いて人間と社会を見つづける「だるまさん」でありたい。
Dharma is Sanscrit word meaning the basic principles of cosmic or individual existence and conformity to one's duty and nature.
種の起源
「生き残るのは、最も強い種ではなく、最も知性が高い種でもない。
それは、変化に最も迅速に対応できる種だ」 - Charles Darwin -
海外駐在員になったとき、生活環境をはじめとして仕事の内容や進め方が全く違う世界に戸惑った。大きな環境の変化の中にあって、生き残るために「強くなる」「知性を磨く」という余裕はない。ただ心がけたのは「変化に対応できる度胸」をもつことだけだった。ある意味でそれは無謀かもしれなかったが、考えるよりも走り続けることで、経験を通じて学ぶ(Learn By Experience)しかなかった。

"I came, I saw, I conquered." "Ich kam, sah, siegte."
「ヴェイニ、ヴィーディ、ヴィキ」 ラテン語で「我来り、見たり、勝てリ」の意味。ジュリアス・シーザーが古代ペルシアの王Pharnacesとの戦いに勝ったとき、ローマ元老院に報告した言葉。私も「世界に冠たるソフトウェア」を開発し米国市場に参入したいという夢を抱いていた。日本から米国に来た、見た、勝った......と本国に報告したいという妄想(?)があった。しかし現実は厳しく負け戦が続いた。いつかはVeni, Vidi, Viciと言える日まで七転び八起きの精神を貫こうと、部下たちに檄を飛ばした。

思へばこの世は常の住み家にあらず。 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。 きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。 南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。 人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。 |
織田信長が好んで舞ったと伝えられる能の『敦盛』である。一の谷の合戦で有名な熊谷次郎直実と平家の若武者、敦盛との一騎打ちに題材をとっている。敦盛は散ることを望んで、そして望むままに散った。生き恥をさらしてでも命を繋ぎ、生き続けることこそ真に勇気の要ることかも知れないが、それでも敦盛のように誇りの中に華と散る姿に憧れるのもまた事実である。武士道精神の芽生えである。
30代の頃、アメリカの友人たちの生き方に影響を受けた。彼らは言う。人間のエネルギーが燃え盛る30代までは家族を持つ余裕がなくともキャリアを積むことに努力をする。40歳までに家族を持ち家族のために生きる。そして、50歳になれば社会貢献に生きるのが理想だと......。その頃から、もともと虚無的なところもあった私は、「人間50年......」という言葉が気に入るようになった。孔子がいう『五十而知天命』に通じるところがある。さて、そうした生き方ができるものやら。だるまの精神を鍛えることに終わりはない。
一日は長し されど 一生は短し
紀元前3000年、メソポタミア文明の遺跡で発掘された粘土板に書かれていた楔形文字の言葉。世界最古の詩といわれる。太古の昔から人々はそのような感慨をもって自分の人生を見ていたということである。われわれに与えられた人生、すなわち時間は大変貴重なものであるから、心して一日を送らなければならない。
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