大職冠の思い出
正月のTV番組で中臣鎌足を題材にしたドラマを見た。「大職冠」という言葉から連想するのは、わたしが生まれ育った奈良県の田舎の風景と子供時代の出来事である。春秋の祭りの季節になると、どこからともなくやってきた大道芸人が技を披露し、近隣の村人たちがあつまる神社があった。神社の境内の底なしのような池にすむカメは千年以上生きていると聞かされた。
その隣に三重の塔があり、「百済寺」と呼ばれている。子供の頃は遊び場のひとつであり、観光客さえこない古びた塔である。当然のことながら、その謂れなどになんの関心もなかった。十数年前に最初の海外駐在から帰国して久しぶりの郷里を訪ねた頃だろうか、近くに「百済寺前」というバス停ができ、ちらほらと物好きな観光客が来るようになったとのことであった。時間が見つけて、この寺のことを調べたいと思っている。
百済寺の、池を挟んだ反対側に「大職冠」とよぶお堂がある。こどもの頃に聞いたのは、鎌足が大職冠という位に付いたのを記念して建てられたということである。堂内には金か銀で鋳造された観音様があったが、戦時のドサクサで盗まれたか国に物資供出でとられた、いやいや誰かが紛失を恐れてどこかへ隠した、などという話も聞かされた。真偽のほどはわからないし、そんなことに何の関心もなかった。
なつかしく思い出すのは、大職冠(タイショッカンと発音した)の周りと床下が、恰好のかくれんぼ遊びの場であったことである。「ゴージャンジャン」とよぶ鬼ごっこもしたことが思い出される。
大職冠とは
孝徳天皇3年(647)に制定された冠位12階の最高位を「大職冠」という。649年、中臣鎌足が死の前日に天智天皇から下賜された。この大職冠の位に就いたのは鎌足ただひとりだったため、鎌足の異名ともなっている。なお、このときに「藤原」の姓も賜り、一族は藤原氏を名乗ることになる。奈良時代に活躍する藤原不比等(史とも書く)は、鎌足の次男。
藤原鎌足を祀る神社といえば、桜井市の多武峰にある談山神社が有名だが、ほかにもゆかりの土地や神社がある。ただし、考古学的には根拠が薄いようである。
大和郡山市の「大職冠鎌足神社」
これは郡山城に入城した豊臣秀長が、鎌足の英知にあやかろうと多武峰から御神霊を遷座して城の守護神として祀ったといわれる。御神霊の帰山後は、御分霊を祀る大職冠神社が創建された。ちなみにこのあたりの地名も大職冠(地図)という。
茨木市の「大職冠神社」
鎌足が祀られているというが、由来は不明である。鎌足が、茨木市・高槻市あたりに住んでいたといわれるが、どこで亡くなりどこに葬られたのかの史実がない。一説には、昭和9年(1934)に発見された阿武山古墳に埋葬されたという。現在の茨木市西阿為一丁目といわれる。<参考>鎌足の墓争い