友人を悼む
今朝、悲しく辛い知らせを受け取った。同期の友人が不慮の事故で亡くなった。このSNSのメンバーでもあり、ミクシーのメンバーでもあった。
友人は10年ほど前に大病を患い、そのときの薬害で聴力を失った。6年前に早期退職し、生まれ故郷に戻って、静かな安らぎの生活を送るようになった。時を同じくして私は日本に戻り、友人と同じように、私も田舎の生活がしたくて、早期退職をしようとしていた。
一年前に、彼が「人生の棚卸し」というメッセージをくれたのがきっかけで、私も人生の棚卸しに着手し、ブログも書いた。彼は、早期退職でそれまでの人間関係をほとんどすべて絶ち、実家に帰って母親と暮らすという生活環境の変化もあって、棚卸しができた・・・といっていた。私はまだ棚卸しさえできていない。
彼は、第二の人生の道を6年前に歩み始めた。聴覚障害を乗り越え、酒とタバコをたしなみ、パソコン好きでブログも定期的に書き、かつての駐在先であるドイツに一ヶ月滞在する旅にでかけるなどして、人生を楽しんでいた。
彼はこのSNSで書き込みをすることはなかったが、同期生たちに招待メールを送ったとき、その日のうちに参加した数少ない友人のひとりである。彼はブログとミクシーを楽しんでいた。私もときたま彼のブログを読むことを楽しみにしていた。私にも憶えのあるドイツ人との再会の話や、ドイツ滞在記、最近ではVistaパソコンを購入し移行に苦労した話など、関心ごとが共通することが多く、また彼の飾らない生き方に共感を覚えていた。
その彼が、いまはもう現実の世界にはいないのだと思うと、男泣きに涙が止まらなくなった。いい奴ほど先に旅立っていくんだ。その旅立ちに、別れを告げることはできない。
彼のブログは、「パソコンの移行完了!」で終わった。新しいパソコンで新たな発見を楽しみ、さぁこれからデジタルライフを楽しもうというときに、神は彼を旅立たせてしまった。聴覚障害を持つ人たちにとっては、パソコンとインターネットが大切な情報源である。ネットを通じて友人知人と親交を深め、新しい交友関係も生まれる。ネットなら、耳が聞こえなくても、常人と同じように会話ができる。彼にとっては生活の必需品であった。
もう彼がブログを書くことはない・・・と分かっていても、これまでと同じように一ヶ月、二ヶ月後に思い出したように彼のサイトを覗くと、また彼の想いを聞くことができると思ってしまう。リアルの世界だけでなく、仮想世界からも彼はいなくなってしまうのだ。彼の哀しさは言葉に表せない。
昨年8月31日、ダイアナ妃の十年目の命日に、彼はブログを書いた。そのなかで、彼は「この10年、私の人生も波乱万丈だった。」と回想している。そして、「これからどうなるのだろうか?今後の10年を私はどう生きていくのか、かなり大きなテーマである。いや、私に10年後があるのだろうか?」という文で結んでいる。
その7ヶ月後に旅立っていってしまった。
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貴君は多くの友人・知人の心の中に生きつづけています。パソコンの移行を完了して、さあこれから仲間と一緒にデジタルライフを楽しみましょう。我々と一緒に生きていくんです。だから、別れの言葉は無用です。インターネットの向こうでパソコンを楽しんでいる貴君の姿が目に浮かびます。