キェルケゴールの手記
キェルケゴール、サルトル、ニーチェ、ラッセル・・・懐かしい名前だが、彼らの哲学はさっぱり分からなかった。10年くらい前だろうか、少年少女に哲学への手ほどきとして読んでもらうよう構想された作品だという「ソフィーの世界」を読み始めたがやっぱり分からなかった。
あるブロッガーがキェルケゴールの手記を引用して解説していたが、これもさっぱり分からない。
「私の使命が何であるかを知ることが問題なのだ」といっていることはわかる。使命が分からないから、何をなすべきかの決心ができない。決心できないままで一生を終わってしまうのだろうか?
あるブロッガーがキェルケゴールの手記を引用して解説していたが、これもさっぱり分からない。
実をいえば、私に欠けているのは、私は何をなすべきかということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ。それは私が何を認識すべきかというこ とではない。どんな行為にも認識が先立つことは、置いておいて、私の使命が何であるかを知ることが問題なのだ。神はまことに何を私がなすべきであると欲し たもうのか。これを知ることが重要なのだ。私にとっての真理であるような真理(=主体的真理)を発見し、私がそのために生き、そしてそのために死にたいと 思うような、イデー(=理想的、価値的なるもの)を発見することが必要なのだ。いわゆる、体系的な学者の言う、客観的真理などをさがし出してみたところ で、それが私の何の役に立つだろうか。
(1835年8月1日の「日記」より抜粋)
「私の使命が何であるかを知ることが問題なのだ」といっていることはわかる。使命が分からないから、何をなすべきかの決心ができない。決心できないままで一生を終わってしまうのだろうか?