文学に異変あり
台頭する若手作家たち...と題した3月7日放送のTV番組「クローズアップ現代」を見た。少し長いが放送記録から引用させてもらう。
「出版不況の中で、低迷して久しいと言われてきた文学の世界が、ここにきて10代・20代の若手作家によって活況を呈している。 去年史上最年少で芥川賞を受賞した金原ひとみ、綿谷りさに刺激され、多くの若者が「書き手」として文学の世界に参入しつつあるのだ。新人作家の登竜門と言われる文芸賞への応募は年々増え、今年は2千を超えた。その中から、白岩玄、山崎ナオコーラといった新たな才能も登場、出版社も「携帯メール大賞」などを新設し、若者の才能の発掘に躍起になっている。所謂古典文学からではなく、ゲームや漫画から育った若者がどんな小説を生み出していくのか、若者ブンガクの可能性を探る。」三年ほど前、久しぶりに日本の本屋さんに並ぶ新刊書をいくつか立ち読みして感じた違和感の原因を説明してくれた。「なんだか漢字が少ない...。カタカナが多い...。口語体、一人称で、文が短い...。擬態語・擬音語が多い...。どうでもいいような日常の話が多い...。かと思うと超常現象の話を主題にしている...。といった具合で、実際に新しい作家の小説を読んで、そういう違和感が強くなった。もちろん、それは私が感じる違和感であって、一般の読者にとっては何の違和感もないのだろう。逆に読みやすく、内容に関心があり共感を覚える読者がたくさんいるから売れているのである。アメリカのXジェネレーションやポップカルチャー世代が新しい文化を創ってきたのと似たような現象がまさしく今日本の社会に起こっているのであろう。番組ゲストの作家・高橋源一郎氏のコメントが大変的を得ており分かりやすかった。
「若手作家たちは、今日より明日は悪くなると感じながら育ってきた世代である。希望の見えない時代のサバイバル...それを新しい文学として提示している。」以下は番組の主な速記録である。大変興味深い。
文学の世界に新しい才能が続々と登場している。10代、20代前半の若者がはじめて書いた小説が相次いで文学賞を受賞し、ベストセラーを記録している。若手作家の活躍は、活字離れといわれていた若者たちを文学に呼び戻す原動力になっている。減り続けていた書籍の売上は昨年8年ぶりに増加に転じた。
文章を書くことを通して自らを表現しようとする若い書き手たち...同世代はどこに惹かれているのか?
綿矢りさ 19歳 「蹴りたい背中」 芥川賞受賞 127万部
金原ひとみ 20歳
島本理生 20歳 「リトル・バイ・リトル」 野間文芸新人賞
羽田圭介 17歳(史上最年少) 「黒冷水」 文芸賞
日日日(あきら) 18歳 「ちーちゃんは悠久の向こう」 五つの文学賞受賞
白岩玄 20歳 「野ブタをプロデュース」
学校生活や恋愛など若者の日常を若者の目線で描いた小説が携帯電話で続々と送られてくる。ある出版社の募集では月500通に達する。
河崎愛美 16歳 「あなたへ」 交通事故で命を落とした恋人への手紙という形で書かれている。中学三年生の時に書いた。好きだという気持ちを表現したかった。失恋したときの心の痛みを書き残したかった。
小説を書くことのたいへんさを感じなくなった人たちが大量に出現してきたのではないか。
インターネット、ホームページを書く、チャットする、トラックバックする...さまざまな方法で書く手段も書く場所もできた。手軽に日常的にたくさん経験するようになり、書くことへの不安や怯え、抵抗感がなくなり、書いたり読んだりすることが日常的になった。
書いている人がたくさんいることとそれを読んでいる人もたくさんいることに驚かされる。かつては一人の作家に1万人の読者であった関係が、ネットの世界では10万人の作者に10万人の読者がいるような関係になった。そういう世界では書いたり読んだりするのが非常に日常的な行為になる。
若い世代ならではの表現手法
・メール的口語文体
おしゃべりするように書く新しい文体。短い文章、思いついたことをそのまま言葉にするのが特色。
綿谷りさ
「葉緑体?オオカナダモ?
ハッ。っていうこのスタンス。
あなたたちは微生物を見て
はしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、
私はちょっと遠慮しておく、
だってもう高校生だし。」
・マンガ的音表現
若者たちにとって読み物といえば先ずマンガ。マンガに特徴的な音を文字にした擬音語は、若手作家の作品に印象的に使われている。
・歌詞的繰り返し
ここぞという場面で歌の歌詞のような表現が登場することが多い。同じようなフレーズが韻を踏んで繰り返される。
西尾維新 「ネコソギラジカル」
「彼女は――ぼくにとって、唯一無二だ。
しかし――
ぼくは彼女を壊した。
ぼくは彼女を殺した。
ぼくは彼女を滅した。
ぼくは彼女を排した。
ぼくは、彼女を、愛せなかった。」
・テ-マ:生きにくさとサバイバル日日日 「ちーちゃんは悠久の向こう」
主人公は両親から暴力を振るわれる高校生...悲惨な日常を生き抜く
白岩玄 20歳 「野ブタをプロデュース」
ちょっとしたことで仲間はずれにされる高校生の日常そのものをサバイバルととらえている。
サバイバルというテーマは若手作家たちが生きてきた時代と密接な関係がある。
白岩玄 1983年生まれ。小学校に入ってまもなくバブルが崩壊。長い不況が始まる。
12歳の年に阪神・淡路大震災、そして地下鉄サリン事件。
14歳の年には同じ年ごろの子供が神戸児童連続殺人事件を起こす。
そして18歳でアメリカ同時多発テロ事件。
若手作家たちは、今日より明日は悪くなると感じながら育ってきた世代である。希望の見えない時代のサバイバル...それを新しい文学として提示している。
「明日から生きていくこと、何かに熱中することが難しいが、それを時代のせいにはできない。それに負けずに立ち向かうしかない。」
閉塞感がある・・・かつてははっきりと見えてぶつかれる壁があった。米ソ冷戦、強い父親、官僚政治体制などよく見える壁に抵抗できた時代が終わった。
いまの若者にはぶち当たれるものがないのではないか。目標とする作家や超えるべき作家が見えないことも閉塞感の一因だが、そういうものより日常的な出来事を中心に物語を展開している。そこに新しい感覚と自由さがある。
口語体、一人称が多い...。誰かから学ぶのではなく、一から自分の身の回りにあるものを使って表現しようとしている。
大きな時代の変化の入り口にある。インターネットが作家を生み出す原動力になっている。これだけ多くの人がものを書く、言葉を使うことに参加するようになったのは始めてである。インターネットやパソコンが発達して、文学は駄目になる、ものを考えなくなるとか、言葉を使わなくなるという人が多かったが、もしかしたらまったく逆で、これからかつて以上にコトバの重要性が増してくるのではないか。文学は、この100年以上に有効な力をもてるようになる可能性がある。