セレンディピティ Serendipity
三年前になるだろうか。「セレンディピティ」という映画があって、日本では「幸せな出会い」と訳されていたと思う。なるほど、そういう解釈の仕方があるのだ、と思った。私が「セレンディピティ」という言葉を知ったのはずいぶん昔で、当時三菱総研の理事長をされていた牧野昇さんが、先行技術開発において大切なのは、「目利き能力」だという意味で、セレンディピティという言葉を使われていたと記憶している。
昨日、牧野昇さんの訃報を知った。享年89歳。数日前に、私のブログを読まれた方(Tさん)からWebメールをいただいていることに気がつき返事をした。「セレンディピティ」について書こうと思って下調べをしたメモのなかで引用させていただいた「セレンディピティーとハインリッヒの法則の関連性と割り箸の法則について」を書かれた方であった。
その方への返事を書いていて、牧野昇さんのことを十数年ぶりに思い出した。それは何かの符号だったのかと不思議に思う。牧野さんが言っておられた「セレンディピティ」すなわち「目利き能力」というものを、私も重要視しており、なにかの話や講演をすると決まって最後に使う言葉である。「好奇心」と「目利き能力」と日本語でいうと決め付けるようなので、「Curiosity and Serendipity」と英単語をそのまま使っている。
Tさんの記事を読んで、白川英樹さんが「セレンディピティ」について書かれていることを初めて知った。「セイロン(スリランカ)の3人の王子」というおとぎ話にちなんで主人公たちのもつ能力から作った言葉だそうである。Tさんの記事では、「目的以外のことで偶然得られた大発見」、「思わぬものを偶然発見する能力」といった意味で研究者たちの間で使われているそうだ。
このセレンディピティとハインリッヒの法則から連想して、Tさんは「割り箸の法則」に気づいたという。「100人の子どもが弁当を持ってくると箸を忘れてくる子どもが1人はいる」という興味深い経験則である。そのTさんが、メールの中で「新しいものに取り組むためには失敗の繰り返しとチャレンジが必要」と言い、セレンディピティーを児童健全育成に活用することに取り組んでおられる。
この話を読んで気がついた。シリコンバレーのベンチャーキャピタリストたちが言っていた「セレンディピティ」は、牧野さんのいう「目利き能力」でもなく、白川さんたち科学者がいう「偶然の発見」でもない。それは、Tさんのいう「失敗の繰返しとチャレンジ」という意味なのだ。そして、科学やビジネスの世界でのセレンディピティだけでなく、純真で好奇心に満ちたこどもたちの「セレンディピティ」もあるのだということに。