日記 「20歳の原点」
日本は諸外国に比べると、日記文化といってよいほど古くから日記が書かれている。学校で習ったことを思い出すと、土佐日記、更科日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、紫式部日記などたくさんある。
いずれも日々の出来事や四季の移ろい、人物や人間関係について思ったり感じたりしたことを書いたり、旅の見聞録だったり、行動記録だったりする。ある時期 に出版を意図して書かれたのではなく、後世の人がまとめて作品にしたということで、日記文学という言い方もされるが、元は個人の日記であったことに違いは ない。
心にうつりゆく よしなし事を そこはかとなく
書きつくれば あやしうこそ ものぐるほしけれ
随筆と呼ばれる徒然草も枕草子も方丈記も、個人的な日記である。筆者たちの体験や知識をもとに、感想や思索、思想を散文でまとめた日記である。
近代の日記
近代においても、断腸亭日乗、木戸日記、頑蘇夢物語などがあり、歴史研究の史料として貴重なものでもある。私と同世代の人が書いた日記で思い出すのは、有名な「二十歳の原点」であろう。
高野悦子が、20歳の誕生日から鉄道自殺を遂げる2日前まで記した日記。死後、父親が発見し同人誌に発表した。翌年「20歳の原点」として出版されベスト セラーとなった。学生運動が盛んだった60年代末期を代表する作品で、学生運動・失恋・人間関係での葛藤と挫折...青年期特有の悩み、生と死の狭間で揺れ動 く心が鋭い感性で綴られている。
荷風日記
近代の文人においては、やはり永井荷風の日記が一番有名であろう。文人であるから、他人に読まれることも念頭において書いたのだろうが、断腸亭日乗はじつに淡々と日々のできごとを書いている。毎日のできごとを書く小学生みたいなものだが、もちろんか荷風の個性、文体が精彩を放っている。
荷風が若いころの日記は途中かかれなかったこともあるが、歳をとって余裕ができたのか、それとも何かの意図があったのかは知らないが、出版された「断腸亭日乗」に書かれている最初の日記は、大正6年9月16日である。それから死ぬ前日まで、じつに42年間にわたって書きつづられた。 これは大変なことである。荷風自身が「ぼくの一番の業績は荷風日記かもしれないよ」といっているくらいである。
文人であり、他人に読まれることも視野に入れて書かれたとはいえ、非常に私的なことにまで踏み込んで、たとえば夜な夜な玉の井に通って女給と遊んだことを赤裸々に書いている。偏奇老人の面目躍如といったところだ。荷風が狷介孤高、偏奇老人といわれるが、荷風が老人を目指し、鋭い観察眼をもって世相を日記につづりだしたのは37歳のときである。
一般人の日記
ここまでは出版された日記、万人が読む日記文学について書いた。作者が、他人に読まれることを意図して書いた創作であろうがなかろうが、共通して言えるのは日々気がついたこと、思ったことを記録として書き残していることである。文字通り、日々の記録、日記である。もうひとつ共通しているのは、自分から見たものごとについて書いていることだ。
文章が三人称で書かれていても、自分の視点であるという点は同じだ。あくまでも自分が自分と対話して考えを整理し、事実を元に、自分の感想を加えて書いている。
では、一般人が書く日記はどうなのか?人それぞれで、ほかの人に聞いたわけではないから分らない。自分の場合に照らして考えるしかないが、だれでも小学生のときに宿題で絵日記を書いた覚えがあるだろう。遠足の後で書いた作文も、本を読んで書いた感想文も日記の範疇だろう。それらは、国語教育の一環として先生の指導の下に学んだものだ。
自我の芽生えと日記
他人に読んでもらうことを前提としない、自分しか読まない日記を書き始めるのは中学生頃からだろう。家族や学校の庇護の中でぬくぬくと生きてこられた世界から脱皮して、自我に目覚めて自分の世界を築きあげようとする頃である。生物学的にも第二次性徴が現れるときで、心身ともに不安定になる時期だ。
自我の目覚めとともに、自分はなにものなのか、自分の存在意義はなにか、どう生きていけばよいのか・・・そんなことに思い悩むようになり、また思春期ゆえの恋の悩みもあって、自分と向き合うことが多くなる。
自分と向き合って考えたことボヤーとしている。それをはっきりさせようとして日記を書くのではないか。書くことで、自分への問いの答えを見つけようとするのではないか。他人にいえないことを日記のカタチを借りて思いを吐き出そうとするのだろう。希望や喜びもあれば、悩みや不平・不満だったりする。
私の中学生日記
そうした日記は、自分の世界に自己陶酔、耽溺するような世界という面が強くなるのだろう。私も自分しか読まない日記なるものを書き出したのは中学生のときだった。動機は、自我の芽生えとか恋の悩みだとかいったことではなく、入学祝いに買ってもらった万年筆を使いたかっただけだ。万年筆で書くのがうれしかった。
しかし、書いた字がへたくそで、それを見るのがいやだった。考えもなしに書こうとするから変な文章になる。修正液で消して上書きすると余計にへたくそな字になってしまう。そんなことがイヤになって日記を書くのを止めてしまった。 (中断)