戦争を知らない日本人
世界の先進国で平和な日本に生きる我々は、大変幸せな民族である。世界のいたるところで紛争やテロが発生している現実に目を向ければ、そのことに気づかせられるのではないか。失われた10年、不景気で失業率が5%、リストラの嵐に企業倒産……などといってメディアが騒いだ。しかし、それはバブル経済崩壊前との比較で言っているだけである。貧しく恵まれない世界の国々との比較で考えることも必要であろう。1945年、第二次世界大戦が終結して以後、戦争に巻き込まれていない国は、日本とスイスなど数えるほどしかない。今の日本人には、祖先の記憶がなくなってしまったとしか言いようがないのではないか。わたしも戦争を知らない世代である。身内や親類縁者、友人・知人を戦争で失った経験は、アメリカで体験したこと(911テロ)を除いて、日本ではない。
私をふくめた多くの日本人は、「戦争の現実を知らない」ということと「日本の歴史、とくに明治・大正から終戦にかけての歴史の真実を知らない」……ということに気がつくべきではないか。そのことを教えられたのは、アメリカの友人たちからであった。とくに経営やマーケティングをジョブキャリアとする彼らのほうがよく知っている事実に、わたしは素朴な疑問を抱いた。なぜなのだろう?学校で日本と世界の歴史は学んだはずだ。
そして、もうひとつの疑問がある。戦後生まれの団塊の世代の多くが、70年安保やベトナム戦争の時代に、なぜ反戦闘争に身を投じたのか?悲惨な戦争の記憶がまったくないのにもかかわらず。わたしはどちらかというと柴田翔の「されど我らが日々」に描かれた諦観や虚無の世界の側であったが、それでも何度か反戦デモの隊列に加わった。当時の若者たちはどうしようもなく迸るエネルギーに満ち溢れていた。そんな燃えるようなエネルギーのはけ口を求めて、ことの是非も分からないままに行動していたのであろうか?