Knowledge itself is power
「知識は力なり」…たしかフランシス・ベーコンが言った言葉と記憶している。
ソクラテスによれば「知識とは、知っていることと知らないことを知っていることである」…という。まるで禅問答のようであり、私自身も確たる説明ができるわけではないが、「知らないこと」を知ることが「気づく」ということだと理解している。気づくためにはいろんな経験と知見を持った人たちと対話をし、多面的に深く考える必要がある。そして、気づくことから新たな知識の習得が始まる。この原動力となるのが知的好奇心、知識欲、学習意欲である。別のことばでいえば「志」であろう。これなくして知的生物の進歩はない。
野中郁次郎教授の組織的知識創造理論では、知識には暗黙知と形式知の二つがあるという。
・形式知…言葉や文章、数式、図表などによって表現することが可能な
客観的・理性的な知のこと。
・暗黙知…勘や直観、個人的洞察、経験に基づくノウハウのことで、
言語・数式・図表で表現できない主観的・身体的な知のこと。
ソクラテスによれば「知識とは、知っていることと知らないことを知っていることである」…という。まるで禅問答のようであり、私自身も確たる説明ができるわけではないが、「知らないこと」を知ることが「気づく」ということだと理解している。気づくためにはいろんな経験と知見を持った人たちと対話をし、多面的に深く考える必要がある。そして、気づくことから新たな知識の習得が始まる。この原動力となるのが知的好奇心、知識欲、学習意欲である。別のことばでいえば「志」であろう。これなくして知的生物の進歩はない。
野中郁次郎教授の組織的知識創造理論では、知識には暗黙知と形式知の二つがあるという。
・形式知…言葉や文章、数式、図表などによって表現することが可能な
客観的・理性的な知のこと。
・暗黙知…勘や直観、個人的洞察、経験に基づくノウハウのことで、
言語・数式・図表で表現できない主観的・身体的な知のこと。
この二つの知を個人・集団・組織の間で、相互に絶え間なく変換・移転することによって新たな知識が創造されると考える。知識の共有・活用によって優れた業績をあげている「知識創造企業」がどのようにして組織的知識を生み出しているかを説明するためのプロセスモデル、暗黙知と形式知の交換と知識移転のプロセスを示すのがSECIモデルである。
この話を野中さんから聞いたのは、1992年のことである。幹部社員研修の一つで半日の講義であったと記憶する。そのときは正直いってよく理解できなかった。「暗黙知」と「形式知」というコトバが新鮮で、「そうだな、暗黙知を形式知に変えないと知識共有ができないんだ!」と知ったつもりになっていた。
これが少し分かり始めたのは、野中さんの講義を聞いて三年後、二回目の海外駐在で現地企業の経営に携わり、全社最適化の視点で幹部社員の教育と知識共有、組織学習の重要性を再認識したときであった。その時に思い出したのが、最初の駐在時代に現地で新規採用をして組織をつくり事業開拓に取り組んでいたときのことである。
当時、開発・販売を問わず全員に「計画と活動内容、実績などのドキュメント化」を頼んだ。そして書かれたものを読んで理解したことをわたしなりに体系化、総合化して、図表を含めた文書を作成した。これを彼らに説明し対話を通じて意思疎通をはかり、彼らが理解したことをもとに再度かれらの言葉や表現で文書化してもらい、それをもとにまた対話をして理解を深めようとしていた。
このプロセスが野中さんの言っていた(部下の)暗黙知→形式知→(私の)暗黙知→形式知…の変換プロセスなのではないか?と気づいた。当時は、さまざまなアクセントの英語を話す部下たちとのコミュニケーションに私の英会話力がついていけず、対話と理解を助けるために彼らの考えていることや計画、活動状況、問題点、解決策などを文書で報告してもらったということである。しかしその後(形式化した)文書の内容をもとに知識を共有し、互いの主観を交えて意見を交換し議論し、新たな考えや見方、知識を生み出していたのだと思う。
そして、組織的知識を生み出すという効果だけでなく、その組織に属する人たちの組織目標達成に向けた努力と連帯感を生み出し結束を強固にする役目も果たす効果があったと考える。十数年たった現在も彼らとの仲間意識は薄れることはない。同じ船に乗って役割を分担し一致協力して目指す方向に船を動かす喜びがあった。
当時のMarketing DirectorであったGeorgeが教えてくれた言葉…
We are sitting in the same boat
一心同体の運命共同体ということの大切さがこころに刻み込まれた。
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この話を野中さんから聞いたのは、1992年のことである。幹部社員研修の一つで半日の講義であったと記憶する。そのときは正直いってよく理解できなかった。「暗黙知」と「形式知」というコトバが新鮮で、「そうだな、暗黙知を形式知に変えないと知識共有ができないんだ!」と知ったつもりになっていた。
これが少し分かり始めたのは、野中さんの講義を聞いて三年後、二回目の海外駐在で現地企業の経営に携わり、全社最適化の視点で幹部社員の教育と知識共有、組織学習の重要性を再認識したときであった。その時に思い出したのが、最初の駐在時代に現地で新規採用をして組織をつくり事業開拓に取り組んでいたときのことである。
当時、開発・販売を問わず全員に「計画と活動内容、実績などのドキュメント化」を頼んだ。そして書かれたものを読んで理解したことをわたしなりに体系化、総合化して、図表を含めた文書を作成した。これを彼らに説明し対話を通じて意思疎通をはかり、彼らが理解したことをもとに再度かれらの言葉や表現で文書化してもらい、それをもとにまた対話をして理解を深めようとしていた。
このプロセスが野中さんの言っていた(部下の)暗黙知→形式知→(私の)暗黙知→形式知…の変換プロセスなのではないか?と気づいた。当時は、さまざまなアクセントの英語を話す部下たちとのコミュニケーションに私の英会話力がついていけず、対話と理解を助けるために彼らの考えていることや計画、活動状況、問題点、解決策などを文書で報告してもらったということである。しかしその後(形式化した)文書の内容をもとに知識を共有し、互いの主観を交えて意見を交換し議論し、新たな考えや見方、知識を生み出していたのだと思う。
そして、組織的知識を生み出すという効果だけでなく、その組織に属する人たちの組織目標達成に向けた努力と連帯感を生み出し結束を強固にする役目も果たす効果があったと考える。十数年たった現在も彼らとの仲間意識は薄れることはない。同じ船に乗って役割を分担し一致協力して目指す方向に船を動かす喜びがあった。
当時のMarketing DirectorであったGeorgeが教えてくれた言葉…
We are sitting in the same boat
一心同体の運命共同体ということの大切さがこころに刻み込まれた。