一日は長し されど 一生は短し
八月頃より、仮想世界の住人に戻りつつある。むかし取った杵柄ではあるが、5年、10年は大昔である。新しいツールやサービスが満載で、いったいどれが自分に適しているのかを調べるのに熱中している。
それはさておき、昔のホームページの整理・移行・統合にも時間を割いているが、新生ホームページにちょっと気のきいた言葉はないかと折にふれ考えてもいる。昔から使っていることばは10年以上にもなるのでカビが生えている気がしないでもない。しかし、捨てるにはもったいないので、AboutやProfileに残そうと思っている。
それで表題の言葉を思い出した。むかし中学校の社会か歴史で習った記憶がある。歳をとると昔の記憶がよく思い出されてくるのはどうしたことだろう。記憶を確かなものにするために調べた。
紀元前3000年、メソポタミア文明の遺跡で発掘された粘土板に書かれていた楔形文字の言葉である。世界最古の詩といわれる。太古の昔から人々はそのような感慨をもって自分の人生を見ていたということである。われわれに与えられた人生、すなわち時間は大変貴重なものであるから、心して一日を送らなければならない……。
むかしの人に比べれば平均余命は格段に伸びた。7掛け人生とも言われる。実年齢に0.7を掛けた年齢が、余命が少なかった時代の人たちの時間感覚だったのだろう。とするといまの80歳はむかしの56歳となる。
30台の頃から言い聞かせてきた「人間50年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり……」のことばと符号する。昔の時間軸では、わたしもまだ30代ということである。そう考えるとなんとも若い自分を再発見してうれしくなる(笑) しかし、その時代の平均余命ではあと十数年しか生きられないことに気がつく。あぁ なんと一生は短いのだろう……と、こんどは落ち込んでしまう(苦笑)
そんなことを考える歳になったということだ!と納得するしかない。それがひとつの結論です。
「一日は長し されど 一生は短し」をどこかで使うことにして、とりあえずAboutのなかの「言葉の由来」につけくわえた。