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人生の棚卸(4)−早期退職計画ー

辞職願を書いて、朝出かけるときに「今日提出するから・・・」と玄関先で妻に言った。その一年ほど前からは、家族にも退職する計画を話してきた。もちろんその後の家族の生活を支える金銭面・保険面での対策は講じて、その目処も立っていた。素人ながらFinancial Plannerの役割をみずから担って、生涯設計をした。


アメリカの家を売却して元手を作り、貯金をドル建てで年利2%、4%、6%と仮定して運用したとき、高リスク高リターンの投資比率は2割くらいで、安全度の高い債権は3〜4割にして、税務対策からタックスヘブンを利用して、実家の固定資産税対策はこうして、税が安い山梨県に住所を移して・・・などと計画した。

(閑話休題)そういう計画を考えていた当時は、バブル崩壊前でたとえばLiquid CD(Certificate of Deposit)という出し入れ可能な定期預金で、一定額以上だと年率9%という商品があったし、株や債権投資ではIRRが30%ということもあった。そういう金融知識と投資の度胸があれば資産を三年で2倍にすることができた時代である。米国では、バブル崩壊後も普通預金は年利4%で運用できた。911のときはアメリカにおり、足止めになった時間を利用して口座の組み換えやオフショア商品の見直しをした。この頃から、金銭的な生活の安定化を図るためには、個人的にもP/L(給料と消費)ではなく、いかにB/S(個人資産の運用)を強化するか・・・だということに確信を持ち、それが分かると、金銭的にはサラリーマン人生がつまらなくなってきた(笑)それと、日本では、売上損益ばかり口にする人たちが多く、Mission/Vision/Strategyの違いやLeader/Manager/Administratorの違いもわからずに、「戦略」とか「成果主義」(英語にはない)を云々する人が多いのに閉口した。


FPの真似事をして生涯計画が曲がりなりにもできたのは、企業経営に携わった体験からである。エンジニアのままだったらそういう発想すらできなかっただろう。経営に携わり、内外の多くの人たちから学び、実践する中で無形の財産が蓄積されていたのである。そしてそうしたキャリアの無形の棚卸資産を活用することができた。勤務先企業に感謝した。報酬をもらいながら、そういった個人の棚卸資産ができたのだから。

ともあれ、退職時にもらえる退職金や60−63歳になったときにもらえるはずの基礎年金・企業年金も勘案して、自分は70、妻は80までの生活資金、三人の子供たちの結婚支援金、年老いた二人の母の介護資金、そして病気・災害時のための保険などなどを考えた。生活インフラの質は維持しながら、健康維持と趣味を満たすことも考えて、また余分な出費を避けるためにも、少しでも自給自足の生活を目指すことも考えた。生涯設計図ができた。

ところが・・・・(つづく)