人生の棚卸(3)−燃え尽き症候群ー
私の反省
いま振り返ってみると、そういう生き方を知ったときは、もう40近くになっていたこともあるが、思ったようにはいかなかった。家族Family をもつというのは、結婚することではなく、子供を生み育てて幸せな家庭を作ることである。そのために生きる・・・ということだが、私の40代は仕事のために生きた・・・という大きな反省がある。
とくに40代後半は、二回目の海外駐在で、海外企業のリストラを含めた事業経営に携わり、月の半分は出張でホテル暮らしの生活が続いた。高校生になった長女と二人暮らしで、妻の中学生の子供二人は日本・・・という家族の生き別れ(!?)だった。とても家族のために生きたとはいえなかった。
そして、50代・・・。社会のために生きたとはいえない。前半は海外生活で、疲弊した利益のでない事業からの撤退やベンチャー資金を確保してMBO・売却したり、会社を清算したりといったリストラ(構造改革)の嵐のなかを走り、とても社会貢献などできる余裕はなかった。ささやかな寄付をするくらいで、社会のために生きるという意味すら分からず、怒涛のごとく時は過ぎた。
燃え尽き症候群
21世紀になって、嵐が収まる気配がでてきた。そして日本に軸足を移すようになった。このときも人生の大きな転機であったが、やはり「人生の棚卸」という意識はなく、そういえるようなことはしなかった。正直言って、Exhausted・・・気力・体力が枯渇したようで、職業人生で学びたいこともなくなった思いだった。20年前にシリコンバレーの仲間がよく言っていた「燃え尽き症候群」だったのかもしれない。
それもあるだろうが、日本に戻ったときに辞職、早期退職をする計画だった。それは、シリコンバレーの仲間たちの生きる姿勢を学んだからでもある。かれらの人生のタイムフレームからはずれてしまったが、むかしは人生50年と思っていたのが、人生70年と考えれば決して遅くはない・・・と思う。
20世紀末に八ヶ岳南麓に土地を買った。山小屋を建て、晴耕雨読の生活を夢見るようになった。それが私の口癖になった。日本に戻ってから週末には住宅展示場にでかけ、住林、デンマークハウス、積水ハス、三井ハウスなどに提案を依頼した。住林とは週一回の頻度で概念設計の打ち合わせをした。しかし、契約・発注の手前で急転した。それが5年半前のことである。