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人生の棚卸(1)ーキャリアだけではないー

ある友人が言っていた・・・「どこかで一度人生の棚卸しをしないといけないじゃないか?」 この言葉に触発されて思う。ひとは意識するとしないに関わらず、何度か棚卸しをしながら生きているのではないか。青春時代の苦い挫折、はじめて社会に出たとき、結婚し子供ができたとき、身内や親しい人が亡くなったとき、理由や契機は人それぞれである。私の場合を考えてみた。

人生の転機

私が人生の棚卸をしたのはいつだろうか?と思い起こす。就職したときは、そういう意識はまったくなかったし、棚卸しをするほど生きてはいなかった。結婚し子供ができたときだろうか。それも違う。未来に向けて家庭と仕事の世界を切り開いているときだった。過去を振り返ることはなかった。

最初の「人生の棚卸」のようなことがあったのは、30代半ばのとき海外に赴任したときだろうか?家族で海外に移り住み、人間関係も仕事もゼロから再出発というのは、生活と仕事の大きな環境変化であった。過去何十年かの間に身についた日本での生活習慣、人間関係などから離れて、これからどうするかを考えなければいけなかった。

しかし、それは「人生の棚卸」ではなかったと思う。私にとっては、未知のキャリアの始まりだった。生活習慣も仕事も人間関係も変わったが、過去のそれらを棚卸したわけではなく、またそういう意識もなかった。キャリアの棚卸だと、「これまでの職業人生を振り返り、どのような仕事や職務を経験し、その過程でどのようなスキル・知識をどの程度習得したのかを整理すること」ということができる。それもしなかった。ただ、明日への道を歩き始めただけだった。人生の転機だったことは確かであった。

人生はキャリアだけではない

キャリアは人生の一要素にすぎないが、日本をはじめ経済至上主義的な諸国の多くの人たちにとっては、キャリアが人生の大事でその大半を占めていると無意識に思い、それが生きる道の主軸になっているようだ。私も例外ではなかったが、私の世代の多くのひとたちは「キャリア」という意識はなかった。社会に出てから、運も良かったのだが、月給は3年後には4倍近くに増えた時代だった。

最初は無我夢中だが、好きな仕事を好きなように自由にやれる組織風土のなかで若いエネルギーを注ぎ込むことができた。しかも、仕事は半分、残りは遊び・・・。先輩に連れられて飲みに行く、毎週末には、山に海に遊び、旅に出て、テニスやヨットも楽しむことができた。海外旅行は、費用的にも一年分の給料が必要で、夢の時代ではあったが・・・。

人生は、キャリアだけではない。職業に就くことは、収入を得て生活の基盤を安定させ、家族に安心と安全と快適さを与えるために必要であり、それは生涯続くことである。キャリアは、より高い報酬と地位と名誉のために追い求めるものかもしれないが、人生はそれだけではない。

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