規則正しい生活の是非
朝6時起床。7時に家を出て、7時30分、目的地に到着。とある喫茶店で一杯のコーヒーを味わいながら、その日の段取りを考える。8時30分、教室に入る。その後は、休憩時間を除いてほとんど立ちっ放しで講義と演習をおこなう。17時30分終了。全受講生の日誌に目を通し、コメントする。疲れたからだを電車の揺れに任せて19時前に帰宅。一日の反省をして12時までに就寝・・・。
そんな生活が続いている。よく務まっているなぁ・・・と自分でも感心している。なぜなら、規則正しい生活とは無縁な人生を送ってきたからである。時空を超えて、死に急ぐような無茶苦茶な生活、仕事もしてきたからである。この数年もやり残したことを整理しようと時間を見つけてはやってきたが、切りがない。焦燥感だけがつのる。
人生の棚卸はできないのだろうか?数週間前に「人生の棚卸」と題して5回書いた。じつは、それらは6月に一気に書いたもので、あとで少し見直してブログにアップした。そのときに書いた草稿(棚卸の意味)がまだ残っているが、見直す時間を見つけられないでいる。
「規則正しい生活」をしていると、ほかの事に使う時間的余裕、エネルギーがなくなる。不規則な生活の中では、ひとつのテーマにエネルギーを注ぎ、一気に完成できる。それがまた不規則な生活を強いることになるが、エネルギーは効果的に使えるのだと思う。
規則正しい生活だと、そうしたエネルギーの集中ができない。翌日の決まった時間帯で使うエネルギーを温存しておかなければいけない。そうでないと、倒れてしまい、多くの人に迷惑をかけることになる。それが緊張感を生む。ストレスにもなるだろう。
規則的な生活をすべきだ、と誰もがいうかもしれないが、私にはどちらがいいのかが分からなくなっている。