人生の棚卸(5)−棚卸の失敗−
・・・ところが、新しい生活に入る計画は挫折した。諦めたわけではなかったが、そのときの早期退職は撤回した。当時高校生だった末娘が受験勉強中で、進学のときの調書に「父の職業=無職」と書くことに家族の感情的抵抗もあった。いわれるまで全く気づかなかった。あぁ、ここは日本だった!
もうひとつ勤務先の人材開発部からグローバルビジネスに携わる人たちを対象にした教材開発を頼まれていた。それを済ませてからにしようとおもった。また55歳に達すると企業の健康保険が退職後も加入継続できると聞き、それを待つという功利的な理由もあった。
しかし、・・・(中略)・・・。そして、某総研に席を移した。当時の社長に「半年か一年しかいないかもしれませんが・・・」と最初に伝えたが、結果的に5年半の長きにわたった。
仕事がまた面白く楽しくなった。産学官連携とか経営者教育、創業支援、少子高齢化、税制改革、規制改革、ソフト戦略などが話題になっていた。諸外国の政府や企業の状況調査のために、海外出張もした。アメリカ、イギリス、フィンランド、ドイツなど行く先々で友人と再会を喜ぶ機会をもつこともできた。官公庁の仕事や米国の戦略投資分野の研究などもできた。また新社長のもと、経営品質向上・顧客価値経営の啓蒙活動にも携わり、伝えたいことを書き残すこともできた。読んだだけでは分からないと思うが・・・。
職業人生に見切りをつけたときから精神が開放された。人のためと思うと、自分が嫌われることなど気にせずに言いたいことが言える。言いたい放題だったかもしれない・・・煙たがられたかもしれない・・・。俺が言わずして誰が言う・・・という気負いがあったのかもしれない。
反省もあるが悔いはない。企業の幹部は、経営研修を毎年繰り返し、半分の時間は企業外での活動で、世の中の変化を感じ取り、変革への取り組みを継続する・・・といった姿勢で行動するのが基本である。しかし、日本にはそうした経営者が非常に少ない。
自分でメールやWebで情報を発信し、想いを語ることも少ない。残念である。自分が担当する部門のことしか眼中になければ、顧客や社員の満足をつねに第一に考えることがなければ、それは経営幹部の資格がない。ある取締役に面と向かって言ったこともあった。
忌憚なき意見が言える組織風土が、卓越した経営をするための基本条件である。親しい友人であれば、忌憚なきことが言い合え、切磋琢磨して学び成長し合える。企業といえどもおなじである。そのことに気づいて欲しい。
しかし、そうした仕事人生のことはもう十分だ。すべてが、懐かしい思い出のかなたに消えていく・・・。
(つづく)