ビンの中の命

この歴史の主人公は、ホロコーストから2500人の子どもたちを救ったイレーナさんである。処刑される運命のユダヤ人の親たちから預かった子どもの名前を変え、いずれ戦争が終わったときのために、本名と親の名前を書いたリストをビンに入れ、りんごの木の下 に埋めた。ビンの中の命のリストだった。
もう一人のシンドラーと呼ばれるようになったイレーナさんは昨年5月98歳の天寿を全 うしてこの世を去った。2007年、ノーベル平和賞の候補にもなったイレーナさんが最 後に語った言葉の重みを真摯に受け止めたい。
1910年 村医者スタニスワフ・クシジャノフスキーの娘に生まれる。
1917年 伝染病に感染した父が最後に遺した言葉
「誰かが苦しい思いをしていたら 知らないふりをしてはいけない
何があっても 助けようとする努力が大切なんだ」
その父の思いを受け継いでいくことになる。
1939年 ナチスドイツ ポーランド侵攻
ワルシャワにもゲットー建設
ジェゴダ(ユダヤ人を救済する地下組織)に加わる。ユダヤ人の子土間たちを預かり、里子として隠したり、教会や修道院にポーランド人の孤児として隠す、救出活動を開始。将来、本当の親に再会できることを願って記録を残した。これをビンに詰めてリンゴの木の下に埋めた。
1943年10月 ナチスに捕らえられる。
両手両足を折られる拷問にも耐え、命をかけて子どもたちを守りぬく。
そして、イレーナの処刑が執行されたことが掲示された。
イレーナの功績はポーランド国内でもほとんど知られていなかった。
なぜなら・・・共産主義体制の下、地下組織の英雄の話は体制にとって危険とみなされ葬り去られたからである。

1999年 米国カンザス州の4人の女子高生は、半年に及ぶ調査の末、歴史に埋もれたヒロインの真実にたどり着いた。物語を演劇にまとめ、歴史研究コンテストで発表することにした。パネルやスライドでは、歴史の真実に向かい合った彼女たちが、イレーナさんの思いを伝えられないと思ったからだ。
The Holocaust and Life in a Jar
と名づけられた。イレーナの思いを受け継ぎたいと思うようになった。
この演劇は、深い感動とともに受け止められた。そして、2000年5月 全米歴史コンテスト カンザス州大会で優勝。彼女たちは、その後も全米各地で上演を続けた。
歴史に埋もれていたもう一人のシンドラーの物語は、カンザス州の小さな町の4人の女子高生によって広められていった。
2001年5月 ポーランドを訪れ、イレーナさん(当時91歳)に会う。
何もいわず、ただ抱き合うだけ。言葉は必要なかった。
この出会いによって、イレーナさんの功績が世界中に知れ渡ることになった。
2003年、ポーランド政府は、国家の最高栄誉である白鷲勲章を贈った。
2006年、カンザス州は、3月10日(こどもの日)を「イレーナ・センドラー記念日」に制定した。
2007年、ノーベル平和賞の候補に選ばれた。そして、助けられた子どもたちと奇跡の再会を果たすようになった。
「私は、一人では絶対に何もできなかった
だからヒロインなんかじゃありません
父の言葉を受け継いだだけなんです」
イレーナ・センドラー
「世の中の悲しみを少しでも減らすため
イレーナさんの思いを絶やすことはできません
伝えていきたいと思っています」元ユニオンタウン高校生 メーガン・スチュアート
2008年5月12日 イレーナ・センドラー逝去 享年98歳

「戦時中よりも今の方が
人間は悪くなったように思います
文明は進みましたが
大量殺戮兵器の開発は今も続いています
それでも私は
愛が勝つことを信じています
愛よりも尊いものはありませんから」