December 17, 2009

輝いて生きる

私たちは自分の中に輝きの原石を持っている。
その原石は一つではない。
数え切れないほどたくさんの原石を持っている。
その輝きの原石を一つ一つ発見していくこと。
それが「輝いて生きる」ことである。

それは発掘作業にも似た道のりである。
誰も見たことのない場所に入っていくとき、
誰もが不安や恐怖を感じる。
しかしそれはエキサイティングな行為でもある。

だからこそ、輝きの原石を発見した時の喜びは
何物にも代え難いものである。

自分の輝きの原石を発見し、自らの人生を輝かせたいと思っても、
たった一人でできることは限られている。
私たち人間は人との関わりにおいて、
多くのことを学び、磨かれ、成長することができる。

自分の人生を輝かせたいと願うなら、
まず、同じ思いを持つ人たちと語らう時間を大切にする。
みんなと一緒になって日々学習し、啓蒙しあいながら、
自らの原石を発見し、磨き、輝かせていく。

自分の輝きが、周りの人を育む大きな光となっていく。

ひとひら


「出会いは命 だから残酷 

無かったことにはできないから」


・・・川江美奈子作詞 今井美樹 「ひとひら」より


October 14, 2009

「素朴な琴」

八木重吉の詩から・・・

この明るさのなかへ 

ひとつの素朴な琴をおけば 

秋の美しさに耐えかねて 

琴はしずかに鳴りいだすだろう 

July 6, 2009

日野原流 健康長寿の心得

 60歳~ 人生の後半開始。腹八分。筋力をつける

 70歳~ 新しいことを創める。腹七分

 80歳~ よく歩き、若い者に好んで接する

 90歳~ 心の赴くままに行動し、道理に違わず

100歳~ よい友をもち、あるがままに生きる

June 5, 2009

邯鄲記の回文

邯鄲の夢は、唐の玄宗の時代に書かれた沈既済の小説「枕中記」の話だが、明の時代の「実録 邯鄲記」では、主人公の盧生は僻地に流されてしまう。彼の妻も 錦織りに落ちぶれる。夫を助けたい一心で妻は皇帝の目に触れるように詩(菩薩蛮)を錦に織り込んだ。それが回文になっている。

梅題遠色春帰得       明河望断啼情夕
遅郷瘴嶺過愁客       当官錦織催還急
孤影雁回斜          織室錦抛残
峯寒逼翠紗          窗紗翠逼寒
窗残抛錦室          峯斜回雁影
織急還催織          孤客愁過嶺
錦官当夕情          瘴郷遅得帰
啼断望河明          春色遠題梅

梅の花は春をもたらしてくれたが 
あの人はいま追放された身となり さすらいの旅をしている
雁がさびしく徘徊しており 峯が寒々と翠の薄布に影を落としている
自分は錦織の部屋に囚われて 急げ急げと催促されている
今宵 錦織の部屋から思いを馳せて 河にあけぼのがたつまで泣き続ける


palindrome

菩薩蛮は一韻が同じ文字数の偶数句で成り立っているために、対称性を生みやすいそうだ。

双憶」という回文形式の詩が有名だ。旅先で残してきた妻子を想う詩が、逆さまにに読むと旅先の夫を想う妻の気持ちを歌った詩になる。

もっとすごいのは、列女伝・竇滔妻蘇氏に出てくる「迴文旋圖詩」にある[王旋][王幾]図」(せんきず)だ。841字からなる回文で、縦横・斜め・四角・螺旋に回文がある。通説では、7958種の詩が読み取れるという。

[王旋][王幾]とは、天体観測機のこと。せんきずは、天空に輝く星座にも、曼荼羅のようにも見える。

日本の古典回文

長き夜の      なかきよの
とをの眠りの    とをのねふりの
皆目覚め      みなめさめ
浪乗り船の     なみのりふねの
音のよき哉     おとのよきかな


江戸時代ではお正月に七福神の絵とともに配られていたもので、この詩を三回読んで絵を枕元に置いて寝るといい初夢が見れるといわれていた。

August 5, 2007

神様へのインタビュー

私は、神さまと自分が 対話する夢をみた

「私と話がしたいんだって?」
神さまは口を開いた

「お時間があるなら」
そう私は答えた

神さまは微笑んで
「私には永遠の時間があるんだよ」
といわれた

「どんな質問をしたいんだい」

「人間のどんなところに、
あなたは一番驚いていますか」


神さまは答えられた

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February 1, 2007

「代」の意味

節目の日を迎えて記事を書いたが、そのなかで50台という誤字が気になった。かな漢字変換のミスではなく、One's Fiftiesというときは「代」か「台」かどちらだったっけ?と思った。「暦が還って」小学生に戻ったような気分である。はっきりしないとなんだか落ち着かないので調べると、これまで知らなかった意味があることに気づいた。先日書いた苗字の話も思い出した。

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November 12, 2006

弱い絆の強み

 スタンフォード大学社会学部教授のマーク・グラノヴェッターが1972年に発表した「The Strength of Weak Ties」という論文がある。後世の社会学に大きな影響を与えた論文である。

 この論文の主張は、「社会的絆によって形成される社会ネットワークにおいては、古くからの友人といった、自分にとって強い絆で結ばれている人物よりも、ちょっとした知り合いのような弱い絆で結ばれた人物のほうが、自分に与える影響が大きい。」ということである。

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December 22, 2005

Kahlil Gibran(1883-1931)

わたしが30代のとき、米国に駐在していたときにもっとも感銘をうけ、マネジメントにも役立ったのがKahlil Gibranの"The Prophet"という本であった。信頼で結ばれた部下が誕生日に贈ってくれた本である。そうでなければわたしの目に留まることもなかったであろう。一読すればわかるが、人間の叡智を凝縮したような言葉に満ちている。

たとえば"On Joy & Sorrow"の章には、こんな一節がある。

Your joy is your sorrow unmasked.
And the selfsame well from which your laughter rises was oftentimes filled with your tears.
And how else can it be?
The deeper that sorrow carves into your being, the more joy you can contain.

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December 7, 2005

LOHAS

DND事務局の山口さんがメルマガに書かれたLOHASの記事が目に留まった。私も思うところを書こうと思ったがそのまま時が流れた。以下は下書きに引用させてもらおうと思って転記していた同氏の記事である。同氏が書いておられるように、「心のビタミン剤となる良質な記事」なので、全文を再掲させてもらった。[2005年12月頃の記事だったと記憶する]
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 「LOHAS」。いまさら〜もう遅いくらいの、3周遅れの先頭のようだ-との陰口を覚悟で、静かなブームから爆発的な社会現象へと変貌しつつあるロハス、あるいはローハスとも呼ぶ、その周辺を意識してみると、いやはや、この文字、毎日、目にしない日はない。

 ロハスは、米国で生まれたマーケッティングの造語です。Lifestyles Of Health And Sustainabilityの略で、ココロと体と地球にやさしいライフスタイルのこと‐と前置きして、ロハスの大きな特徴は「持続可能性」という意味の Sustainabilityです。省エネ効果の高い製品を買う、環境問題に熱心な企業に投資するといった行動をすることで、企業もロハスに取り組むことになります。地球の環境や社会を持続可能性のあるものにしていくために、日々考え、情報を集め、行動するのがロハスピープルの基本的なスタンスです、というのは「いきいきロハスライフ!」の著者のイデトシカズさん。朝日新聞の11月3日付けの別冊特集「be」の「ロハス的生活のススメ」で、イデさんはそう解説していました。

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November 25, 2005

ウィグル族のディラクエと伝承詩

ウィグル族(Uyghur folk)に伝わる音楽 「ディラクエ」 (魂の叫び)

この旋律にふれるとき、かれらは民族が失ってしまったものを想い、心を振るわせるのだという。この曲を聴くといま自分の心にある最も悲しいことを思い出すという。親兄弟の死んだときのこと、恋人を失ったときのこと、もどる故郷がないこと…。

かつて野を駆ける遊牧騎馬民族だったかれらは、国家の滅亡とともに草原を追われ安住の地を求めてシルクロードをさまよった。苦難の歴史がディラクエには刻まれている。
文字を持たなかった遊牧騎馬民族は、民族の歴史を歌や踊りに托し語りつごうとしてきた。

受難の時代、人々が心の支えにしたという古い詩の一節…

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October 15, 2005

3Aと3C

幹部社員研修のときに伝える3A3Cのメッセージがある。

3Aは、AttentionAllianceAction である。

これは、数年前に「これからグローバルビジネスに携わる人たちへ」と題したインタビューの最後でまとめとして伝えたことであり、私が海外でのビジネス経験の中で自らを戒めてきたことでもある。

日本語では、つぎの熟語で説明している。

Attention 飛耳長目
Alliance 借勢
Action 草莽崛起

October 14, 2005

Attention

飛耳長目(ひじちょうもく)

 耳を飛ばし目を長くする!?...中国の春秋時代、斉の管仲(?〜前645、法家の祖)が、遠くのことをよく聞き知ることのできる耳と、遠くのことをよく見ることのできる目を持つことを「飛耳長目」といった。見聞を広め、物事を鋭敏に観察することの大切さを教えている。

吉田松陰 日本では幕末、情報の必要性を感じていた吉田松陰が松下村塾のモットーにし、塾生たちに見聞を広めることを勧めた。現代ではインターネットが飛耳長目の場でありツールであり、松陰たちの時代と較べると時空を越えて世界の情報を収集できるようになった。情報の海の中から有意の情報を見つけ、整理・体系化して活用することにより、時代の潮流を読み取り的確な判断に資することが求められている。

August 7, 2005

死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。

 原 民喜は、原爆にあたることの凄まじさを文章に刻み続けた。

「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。」 (「鎮魂歌」より)

「…世界は割れていた。僕は探していた。何かをいつも探していたのだ。廃墟(はいきょ)の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻った。人間はぞろぞろと歩き廻って何かを探していたのだろうか。新しく截(き)りとられた宇宙の傷口のように、廃墟はギラギラ光っていた。巨(おお)きな虚無の痙攣(けいれん)は停止したまま空間に残っていた。崩壊した物質の堆積(たいせき)の下や、割れたコンクリートの窪(くぼ)みには死の異臭が罩(こも)っていた。真昼は底ぬけに明るくて悲しかった。白い大きな雲がキラキラと光って漾(ただよ)った。朝は静けさゆえに恐しくて悲しかった。その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめていた。夕方は迫ってくるもののために佗(わび)しく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉を啖(くら)いはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨(ほうこう)していた。すべてが新しい夢魔に似た現象なのだろうか。廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻った。人間が歩き廻ることによって、そこは少しずつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだろうか。」 (「鎮魂歌」より)

「遠き日の石に刻み 砂は影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」

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August 3, 2005

Actionの意味を問う

「PDCAを回す」と人は言う。計画(Plan)をして実行(Do)する。その結果をチェック(Check)してアクション(Action)を起こす......。当たり前のことを英語の頭文字で表現しているだけである。いまさら議論など無用...と思う人が多いかもしれない。しかし、日本人はこのPDCAの意味をどう理解しているのだろうか?「アクション」とは何なのか?「計画」とは何なのか?素朴な疑問を抱くようになった。発端は、経営の一端を担う幹部社員たちの「アクション項目を決めて実行しよう」という声とその後の結果にあった。経営品質向上を目指したかけ声、意気込みは大切なことであり、それがリーダーシップの現われでもある。

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August 2, 2005

The Five Principles of Water 水五則

Moving of itself, water moves other things. Seeking always to move on its own path, water does not stop. Being pure itself, water cleanses filth of other things. Flowing over obstacles as they are encountered, water increases its power a hundredfold. Filling the great and boundless oceans, evaporating to moisture, becoming rain or changing into snow, and freezing to become a sparkling mirror, water still does not lose its basic nature.

Let Us Have Faith

Let Us Have Faith (1940)
by Helen Keller (1880 - 1968)

Security is mostly a superstition.
It does not exist in nature,
nor do the children of men as a whole experience it.
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure.
Life is either a daring adventure, or nothing.
To keep our faces toward change and behave like free spirits
in the presence of fate is strength undefeatable.

February 3, 2005

アメリカインディアンの教え

わたしの昔の備忘録の中に、つぎの「アメリカインディアンの教え」がある。子を持つ親の戒めと思ってメモしていた。

  「批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします
  敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います
  ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります
  妬みを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります
  心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります
  励ましを受けて育った子は、自信を持ちます
  褒められる中で育った子は、いつも感謝することを知ります
  公明正大な中で育った子は、正義心を持ちます
  思いやりのある中で育った子は、信仰心を持ちます
  人に認められてもらえる中で育った子は、自分を大切にします
  仲間の愛の中で育った子は、世界に愛をみつけます」

 この教えを知ったのは最初の米国駐在の頃だが、今日amazon.comで探したら、パウワウ―アメリカ・インディアンの今日を無駄にしない教えという本(日本語訳)があった。早速買って読んでみたい。つぎの12月各月の目次構成になっている。

  一月  (清めの月)     今日を楽しくすごす
  二月  (風の月)      悲しいときこそ笑う
  三月  (めざめの月)    すべての命に愛される
  四月  (育ちの月)     新しい自分への種をまく
  五月  (花咲く月)     眠っていた夢を掘り起こす
  六月  (長い日の月)    心地よいペースで生きる
  七月  (熟する月)     大切な人との今を味わう
  八月  (収穫の月)     ありのままの生を楽しむ
  九月  (落ち葉の月)    苦しめるものとも向きあう
  十月  (霜おりる月)    心をあたためる言葉を見つける
  十一月(長い夜の月)     命の奇跡を喜ぶ
  十二月(生まれ変わりの月)  明日の自分を祝福する

January 9, 2005

Aristotle


"All human actions have one or more of these seven causes: chance, nature, compulsions, habit, reason, passion, desire."
-- Aristotle

January 8, 2005

人生は恐れを知らぬ冒険か無か

<写真> American Foundation for the Blind
Helln Keller
 ヘレン・ケラー(1880〜1968)は米国アラバマ州の裕福な家庭に生まれた。生後19カ月で熱病にかかり視力と聴力を失う。87年、アン・サリバンが家庭教師につき人生が変わる。庭の井戸から流れる水に手をあてて、ものに名前があることを初めて理解した話は有名だ。

 表題のことばは1940年の著書「Let Us Have Faith」から。「安全は多くの場合迷信で、自然には存在しない。長い目で見れば危険を回避することが危険に身をさらすことよりも安全とはいえない」という教訓に続いて、「人生は恐れを知らぬ冒険か無か。変化に顔(目)を向けること、あるがままの運命のなかで自由な精神をもって行動することが打ち負かされない力を生む」と書いた。



Let Us Have Faith (1940)
by Helen Keller (1880 - 1968)

Security is mostly a superstition.
It does not exist in nature,
nor do the children of men as a whole experience it.
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure.
Life is either a daring adventure, or nothing.
To keep our faces toward change and
behave like free spirits
in the presence of fate is strength undefeatable.

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we should recall President Lincoln's words at another difficult moment in American history in pursuit of another just cause: "Let us have faith that right makes might; and in that faith let us do our duty as we understand it."

October 11, 2004

一日は長し されど 一生は短し

八月頃より、仮想世界の住人に戻りつつある。むかし取った杵柄ではあるが、5年、10年は大昔である。新しいツールやサービスが満載で、いったいどれが自分に適しているのかを調べるのに熱中している。

それはさておき、昔のホームページの整理・移行・統合にも時間を割いているが、新生ホームページにちょっと気のきいた言葉はないかと折にふれ考えてもいる。昔から使っていることばは10年以上にもなるのでカビが生えている気がしないでもない。しかし、捨てるにはもったいないので、AboutやProfileに残そうと思っている。

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August 2, 2004

言葉の由来について

Eurekaの由来

 ギリシャ語で「見つけた(I have found it.)」という意味。古代ギリシャの数学者アルキメデスが、金の純度を測る方法(浮力の原理)を知ったときに叫んだ言葉が"Eureka!"(エウレーカ。英語での発音はユリーカ)だという由来から拝借し、1987年頃からハンドルネーム(当時はCBネームともいった)として使っている。米国駐在員としての職務のひとつが各種業界・技術動向の調査であった。不得手な英語で情報を収集・分析するのに苦労をした。新聞・雑誌を漁り、電話をかけ、Lexis/Nexis(法律・公開記録情報の検索サービス)で調べ、求める情報を発見したときほどうれしいことはなかった。「Eureka! 見つけた、分かった!」と叫びたくなる。Eurekaを私のハンドルネームとして使い出した後で知ったのだが、Eurekaは米国カリフォルニア州北部にある町の名前であり、有名な掃除機メーカのブランド名、あるいはイギリスにある子供博物館の名前であったりするが、これらとは何の関係もない。

Dharma 達磨大師

 梵語(古代インドの文章語)でBodhi-dharma(菩提達磨)という。禅宗の開祖。1990年代初め頃から、私のトレードマークのように使っている。激しい変化の時代の真只中にいる我々には、ぐらつかない軸としなやかな心が求められる。わたしはそれを達磨大師に求めた。ぐらつくことがあっても必ずもとに戻る柔軟な姿勢としなやかな禅の心である。宗教心のためでなく、象徴としての「だるまさん」である。つねに大きな目をカッと見開いて人間と社会を見つづける「だるまさん」でありたい。

Dharma is Sanscrit word meaning the basic principles of cosmic or individual existence and conformity to one's duty and nature.

種の起源

「生き残るのは、最も強い種ではなく、最も知性が高い種でもない。
それは、変化に最も迅速に対応できる種だ」  - Charles Darwin -

海外駐在員になったとき、生活環境をはじめとして仕事の内容や進め方が全く違う世界に戸惑った。大きな環境の変化の中にあって、生き残るために「強くなる」「知性を磨く」という余裕はない。ただ心がけたのは「変化に対応できる度胸」をもつことだけだった。ある意味でそれは無謀かもしれなかったが、考えるよりも走り続けることで、経験を通じて学ぶ(Learn By Experience)しかなかった。

Veni, Vidi, Vici
"I came, I saw, I conquered." "Ich kam, sah, siegte."

 「ヴェイニ、ヴィーディ、ヴィキ」 ラテン語で「我来り、見たり、勝てリ」の意味。ジュリアス・シーザーが古代ペルシアの王Pharnacesとの戦いに勝ったとき、ローマ元老院に報告した言葉。私も「世界に冠たるソフトウェア」を開発し米国市場に参入したいという夢を抱いていた。日本から米国に来た、見た、勝った......と本国に報告したいという妄想(?)があった。しかし現実は厳しく負け戦が続いた。いつかはVeni, Vidi, Viciと言える日まで七転び八起きの精神を貫こうと、部下たちに檄を飛ばした。

敦盛
     思へばこの世は常の住み家にあらず。
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。
きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。
南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。

 織田信長が好んで舞ったと伝えられる能の『敦盛』である。一の谷の合戦で有名な熊谷次郎直実と平家の若武者、敦盛との一騎打ちに題材をとっている。敦盛は散ることを望んで、そして望むままに散った。生き恥をさらしてでも命を繋ぎ、生き続けることこそ真に勇気の要ることかも知れないが、それでも敦盛のように誇りの中に華と散る姿に憧れるのもまた事実である。武士道精神の芽生えである。

 30代の頃、アメリカの友人たちの生き方に影響を受けた。彼らは言う。人間のエネルギーが燃え盛る30代までは家族を持つ余裕がなくともキャリアを積むことに努力をする。40歳までに家族を持ち家族のために生きる。そして、50歳になれば社会貢献に生きるのが理想だと......。その頃から、もともと虚無的なところもあった私は、「人間50年......」という言葉が気に入るようになった。孔子がいう『五十而知天命』に通じるところがある。さて、そうした生き方ができるものやら。だるまの精神を鍛えることに終わりはない。

一日は長し されど 一生は短し

 紀元前3000年、メソポタミア文明の遺跡で発掘された粘土板に書かれていた楔形文字の言葉。世界最古の詩といわれる。太古の昔から人々はそのような感慨をもって自分の人生を見ていたということである。われわれに与えられた人生、すなわち時間は大変貴重なものであるから、心して一日を送らなければならない。