December 6, 2009

青雲、一身の独立

坂の上の雲・・・好古・真之兄弟を通してみる明治中期以降の日本の姿がわかりやすく映像化されている。原作を読んだのはずいぶん昔のことだが、古本屋で 買った全10巻を一気に読んだ記憶がある。一気にといっても、前に戻ってもう一度内容を確認しながら、次はどう展開するのかとわくわくしながら、自分も想 像するのが楽しかったものだ。

テレビドラマはホントはちがった面白さがある。今日が二回目だが、本にはない話がいくつも展開している。好古、真之、子規たちがどういう志をもって勉学に励み、自らが生きるべき道を模索していく。

ひとりひとりが一身独立を目指してがむしゃらに生きた時代、予備門や軍に身をおいたわかものたちはみんな、自分がこの国の将来を導くのだという気概を持っていたのだと思う。

一身の独立が一国の独立につながることを承知していたのである。「学問おすすめ」から引用された言葉だが、いまの世の中でいう自立に近いが、たんに個人が経済的に自立するという意味とは異なる。

国のため、民百姓のために選ばれた人間は命を賭ける義務があるという精神に満ちていたのだと思う。英国貴族のオブリージュに近かったのではないか。面白い時代だったことだろう。生まれるのが遅かった!

ドラマの面白さは、ひとえに野沢尚という稀有の脚本家が史実をにらみながら創造した脚本、三人の主人公と彼らを取り巻く人物像を鮮やかに演じる俳優陣、監督たちの努力の結果である。

それにしても野沢尚はなぜ若くして自殺するに至ったのだろうか。彼のような人材が早く逝ってしまったのは重ね重ね残念である。

February 2, 2009

バスク人の誇り

Basque Flag
スペイン北部〜フランス南西部のピレネー山脈にまたがる土地をバスク地方という。この地に中世以前から住みついた人で、バスク語を話す人々をバスク人とい う。スペイン王国の自治州バスク Basque Country の人口は212万人。フランス側の住民は260万人。南米に住むバスク人は約800万人で、中でもアルゼンチンが最も多く300万人いる。

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世界遺産 ビスカヤ橋

〜NHK探検ロマン「ビスカヤ橋」から〜

Bizcaya

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January 20, 2009

イタリア幻想曲

内田康夫原作の推理小説の題名である。同氏の本のほとんどが旅と歴史を下敷きにしているので、推理だけでなく舞台となった土地と郷土史、伝統、文化、そしてそこに暮らす人々の背負っていることなども学べるので楽しい。
  Montefioralle

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March 2, 2008

奇跡の地球

※動画再生にDivX Web Playerが必要です。

人類が初めて月に立ち、青い地球を見たのはいまから40年近くも前のことである。しかし、それよりも9年前に宇宙の端から肉眼で地球を見た男がいた。アメリカ空軍パイロットのジョー・キッテンジャーである。ロケットではなく、巨大な気球を使って宇宙へと旅立っていった。31キロの高さまで上って、世界で始めて外側から地球を見た。そしてカメラを回しながら地球に飛び降り、青く光る地球を見たのであった。彼はこんな言葉を残した。
15分前まで私は宇宙の端にいました
まるで「エデンの園」にいるようでした
こんなにすばらしい惑星にいることに
感謝しなくてはいけません

地球はたくさんの命で満ち溢れている。小さなバクテリアから巨大な生物まで、発見されたものだけでも約200万種類を超えている。なぜ地球だけがこんなにもたくさんの命に満たされた星なのだろうか。

地球が存在している太陽系は、何千億もの星がひしめく天の川銀河の端っこにある。そして、この天の川銀河は宇宙空間に何十億とある銀河の中のひとつに過ぎない。しかし、この広大な宇宙の中で、人間や動物など高度に進化した生命体が確認されているのは地球だけ。いったいなぜなのか?それは、地球が考えられないほどの奇跡と偶然の連続で誕生したからだといわれる。

奇跡と偶然が生んだ地球

・ティアとの衝突

46億年前は宇宙空間に漂うただの星屑だった。それが衝突と合体を繰り返して少しずつ大きくなって地球が生まれた。やがて双子の惑星ティアと衝突する歴史的瞬間を迎える。この衝突で地球はティアの一部を取り込み、大きくなって生き残った。大きな引力を獲得したことで、生命の誕生に欠かせない大気と海を留めておけるようになった。ティアと衝突するという偶然がなかったら地球上に生命は生まれてこなかった。

・太陽からの距離

絶妙な距離に位置しており、生命に欠かせない水が液体として存在する唯一の場所という奇跡的な偶然があった。火星にも水は存在するが、その表面温度はマイナス120度にもなる。2005年の火星探査機マーズ・エキスプレスが撮影した映像を見ると、クレーターの中の水は完全に凍っている。太陽に近い金星の表面温度は460度に達し、水はすべて蒸発してしまう。

地球はまさに奇跡的な場所に位置している。その位置が少しでもずれていたら生命を育んできた海は存在しなかった。海は、地球表面の4分の3を覆っている。すべての水を集めて球状にすると、その大きさは地球の直径の10分の1である。このわずかな水が地球の表面を覆い、青く輝く特別な星にしている。海は地球に生きるすべての命の故郷である。


地球は衝突を繰り返し、すべての物質は強力な引力で奥のほうへと閉じ込められていった。中心部の温度は4500度、太陽の表面と同じほどある。このとき水分も地球の奥深くにしまいこまれた。やがて冷えて固まった表面が割れて溶岩が噴出してくる。火山である。火山は。地球内部に閉じ込められた物質を放出する。このとき水も水蒸気となって噴出し、雲をつくり、地球の引力によって上空に引き止められた。そして、数千年も続く暴風雨の時代がはじまった。このときに生まれたのが、現在の海の半分ほど。

残りの半分は、彗星の衝突でつくられたという。これを実証するために、三年前に大規模な実験が行われた。テンプル彗星に衝突器をぶつけ、彗星の内部を観察する Deep Impact Programである。実験は成功し、2億5000万リットルの水分(氷)が放出され、彗星が氷の塊であることが確認された。

原始地球では、毎日何千もの彗星と衝突し、その彗星から残り半分の水が地球に持ち込まれたと考えられている。その後40億年間、海水の量はほぼかわらないまま、この地球上に存在し続けている。

そして。このかけがえのない海で最初の生命が生まれ、38億年という長いときをかけて進化してきた。現在は地球の歴史上最大の生命体が、体重30トン、体長15メートルのザトウクジラHumpback Whale である。

February 1, 2007

歌舞伎の「白井権八」と「比翼塚」

先の記事の続きである。「平井」というのを、同じ「大辞林 第二版」で調べた。たった一件だけあった。「平井権八」である。あまり良い名前ではない。

「江戸前期の武士。鳥取藩士であったが人を殺して退去。江戸で強盗殺人を犯し延宝年間(1673-1681)に磔(はりつけ)になったという。歌舞伎の白井権八のモデル。」
とある。まさか彼が祖先ではないでしょうね!もっともそんなことをいったら、佐藤・鈴木・高橋さんなんかは、同じ苗字の殺人者が何人も祖先にいることになってしまう(笑)それにしても「歌舞伎の白井権八」とはなにものかな?

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August 17, 2006

Birth of the PC

The IBM PC was announced to the world on 12 August 1981, helping drive a revolution in home and office computing.

The PC came in three versions; the cheapest of which was a $1,565 home computer which had a 4.7Mhz processor and 16K of memory.

The machine was developed by a 12-strong team headed by Don Estridge.

BBC News

August 11, 2005

トリニティ核実験から2000回


[写真はNHKスペシャル番組からキャプチャーして編集したものです]

人類が始めてみた核の姿...天を突いて立ち上る雲は、原爆製造の中心を担ったオッペンハイマー博士を恐怖させた。記者会見で目に涙を浮かべてつぎのように語った。

笑う者も泣く者もほとんどなく 皆 押し黙っていました。 今までの世界は 別のものになりました。 『バガヴァッド・ギーター』の一節が浮かびました。

『汝のすべきことだけせよ』
と神は王子に語り......
無数の手をもつ怪物に変身し警告するのです
『今、私は死神となる。破滅を導く者になるぞ』

ヒンドュー教の神・クリシュナの言葉

「千の太陽が一時に 天空にきらめき出ることあれば...
 そは かの荘厳な者の光輝に似ん
 私は世界を滅亡させる「時間」となり
 今破滅に向かって活動を開始した」

August 9, 2005

赤い背中〜原爆を背負い続けた60年〜

 今夜のNHK特集「赤い背中」〜原爆を背負い続けた60年〜を見た。戦後はまだ終わっていないのだと実感し、自分の無知を恥じる思いをした。そして、多くの被爆者がなくなっていく時代、戦争を知らない平和な時代に生きたすべての日本人が原爆の恐怖や悲惨さを記憶にとどめ後世に伝えていく責務があるのだと思い知らされた。

[下記写真は米軍戦略爆撃調査団が長崎で撮影したフィルムから作成。戦後25年経って公開された]
 わたしは、日本と日本人の被爆体験に、これまで無関心であった。「日本人は歴史を知らない」とアメリカの友人たちに言われたことを何度か引用しているが、これからも自戒の言葉であり続ける。遠い昔、中学生のときに修学旅行で広島に立ち寄り、原爆ドームと記念公園を見学した記憶がある。しかし、それは原爆の怖ろしさを学ぶためでも被爆者たちが体験した地獄の実態を知るためでもなかった。おそらく引率の先生たちも被爆の実態をよく知らなかったのではないかと思う。広島・長崎の被爆者とその家族・友人・知人たちを除けば、ほとんどの日本人が被爆の恐ろしさと苦しみや悲しみを実感できなかっただろうし、またそのための知識も十分に与えられていなかったのだと思う。

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August 7, 2005

死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。

 原 民喜は、原爆にあたることの凄まじさを文章に刻み続けた。

「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。
僕を生かしておいてくれるのはお前たちの嘆きだ。
僕を歩かせてゆくのも死んだ人たちの嘆きだ。」 (「鎮魂歌」より)

「…世界は割れていた。僕は探していた。何かをいつも探していたのだ。廃墟(はいきょ)の上にはぞろぞろと人間が毎日歩き廻った。人間はぞろぞろと歩き廻って何かを探していたのだろうか。新しく截(き)りとられた宇宙の傷口のように、廃墟はギラギラ光っていた。巨(おお)きな虚無の痙攣(けいれん)は停止したまま空間に残っていた。崩壊した物質の堆積(たいせき)の下や、割れたコンクリートの窪(くぼ)みには死の異臭が罩(こも)っていた。真昼は底ぬけに明るくて悲しかった。白い大きな雲がキラキラと光って漾(ただよ)った。朝は静けさゆえに恐しくて悲しかった。その廃墟を遠くからとりまく山脈や島山がぼんやりと目ざめていた。夕方は迫ってくるもののために佗(わび)しく底冷えていた。夜は茫々として苦悩する夢魔の姿だった。人肉を啖(くら)いはじめた犬や、新しい狂人や、疵だらけの人間たちが夢魔に似て彷徨(ほうこう)していた。すべてが新しい夢魔に似た現象なのだろうか。廃墟の上には毎日人間がぞろぞろと歩き廻った。人間が歩き廻ることによって、そこは少しずつ人間の足あとと祈りが印されて行くのだろうか。」 (「鎮魂歌」より)

「遠き日の石に刻み 砂は影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」

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August 2, 2005

モルドバの壁画誕生の謎

ルーマニア北部のモルドバ地方にある教会の数々。現在7つが世界遺産に登録されている。その中でも最も美しい教会が北部のモルドバピツァ村にある。高さ8メートル、幅25メートルの壁一杯に絵が描かれている。聖書に登場する聖人や予言者の絵で埋め尽くされている。教会の中も壁一杯に絵が描かれている。450年前に描かれた壁画である。いまも鮮やかな色彩を維持している秘密は何か?教会の中も外もなぜこれほどまでに絵が描かれたのだろうか?なぜモルドバ地方にはこうした教会がいくつもあるのだろうか?

それらの多くは15−16世紀に描かれた。当時はまだルーマニアという国はなく、周囲を大国に囲まれた小さなモルドバ公国があった。壁画が描かれた15世紀はイスラム世界のオスマントルコとの戦いの中にあった。過酷な時代を生き抜くために、キリストの受難を自らの運命に重ね合わせて、心の支えとして描かれた。

フレスコFrescoとは、イタリア語で「新鮮」と言う意味で、漆喰が乾かないうちに絵を描く手法。世界からモルドビアンブルーと賞賛された青色は450年以上も色落ちせずに残っている。

アゼライトは銅を含んでいるため化学変化を起こしやすい。なのになぜ色あせないのか?その秘密は漆喰とアゼライトの間の木炭にある。これにより光を遮断し、漆喰には接着しやすいように麻のくずとチーズを混ぜる技法が、長い風雪に耐えて美しい青を保持しているのである。

February 27, 2005

東巴文字

象形文字には甲骨、ヒエログリフ、トンパ(東巴)の三つがあるという。甲骨文字とヒエログリフについてはその歴史的背景を含めてある程度知っていたが、トンパ文字についてはよく知らなかった。三つの象形文字の中で現在も使われているのがトンパ文字で、いま日本で静かなブームになっているということを、電網写真館 asia photo netというサイトで知った。

上の写真はトンパ研究所に保管されている古いトンパ経典(象形文字経書)


このホームページに「とんぱ酉」のアニメーションがある。鳴き声は、日本の鶏とおなじで、わたしにはコケコッコーと聞こえる。トンパ(東巴は、中国雲南省の少数民族(55あり、そのうち23が雲南省に住んでいるとのこと)のひとつであるナーシー(納西)族(naxi zu naxi ethnic minority group)が使っている象形文字だそうである。[写真はChina Internet Information Centerより拝借した]

雲南納西族東巴文字に、「トンパ文字」のすべてがある。トンパ文字と画像がたくさん使われており、トンパ文字辞典やトンパおみくじもあるユニークなページである。関心のある人は訪問されると良い。

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February 14, 2005

The History of Valentine's Day


きょうはバレンタイン・デーである。日本では、クリスマスと同じようにたくましい商魂が全国的な行事にしたてあげた。それにしても、「女性が好きな男性にチョコレートを贈る日」とした人の戦略性には敬服する。しかし、いつのまにか「好きな」が不必要になって、「義理チョコ」がまかり通るようになったのも商魂ゆえか、それとも職場であからさまに目当ての男性だけに贈るのははばかれると思う日本女性の奥ゆかしさからか?…などと考えるのは古い時代の人間だけだろう。いまや、この日に関係なく人目もはばからずチョコレートでベトベトした気持ち悪さが東京周辺で横行しているのも現実である。

そもそも欧米では「聖バレンタイン」とは何者で、「バレンタイン・デー」にはどういう謂れがあるのか?The History Channelでは以下のように解説している。

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February 11, 2005

キトラ古墳­

今年の正月にNHK特集で「キトラ古墳」を見た。歴史は好きなほうで、歴史にかかわる本やTV番組に関心を示す私であるが、キトラ古墳についてはほとんど知識がなかった。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡についても、その歴史的背景を含めて知ったのはこの三年である。遺跡を訪ねて古代の人々の生活に思いを馳せたのは、三内丸山遺跡だけである。


今日PCのディスクを整理しているときに、「キトラ古墳」の録画ビデオがあるのに気が付いた。キトラ古墳の説明ではなく、日本の貴重な文化財を守る人々の真剣な取り組みを描いたものだった。「石室開封~キトラ古墳・壁画修復への挑戦~」と題するドキュメンタリーである。


この古墳の石室は、幅約1m 長さ約2.6m 高さ約1.3mの大きさ。1983年のファイバースコープによる内部探査で、北壁に描かれた玄武が確認され、注目を浴びたとのこと。その時はアメリカに駐在しており、日本のニュースに触れることはなかった。大阪市立科学館のキトラ古墳のはなしによると、1998年の調査で、新たに白虎像、青龍像、天文図が発見され、2001年までの数次にわたる探査の結果、石槨内の壁画の全貌が明らかになったという。





昨年の保存状態の確認調査で、入り口付近でカビが見つかり壁画の修復に乗り出した。幅1m、高さ1.3メートル、入り口は40cmしかない狭い石室で、しかも湿度100%のなかでの作業はたいへんな忍耐が要求される。これを担当したのが、東京文化財研究所の山本記子研究員。玄武、青龍の壁画部分の漆喰は石の壁からはがれ、放置しておくと崩れ落ちる危険がある。


修復の準備のために始めて石室の中に入って壁画を直接見た山本研究員はいう。

「こんなすごい造形物があるのだと感激した。人の目に見えないような細かなところまで描かれている。それは、自分の技術を人に見せるためではなく、もっと大きなものに動かされた結果ではないか。だからこそ、純粋できれいなものを感じる。」

過去20年にわたり文化財の保存修復に取り組んできた専門家の言う言葉には真実がある。


文化財保護は、現場での保存が基本とのこと。しかし、1972年に発掘されて有名になった高松塚古墳の壁画に修復不可能な黒カビが発生した例があり、同じ失敗を避けるために剥がれ落ちそうな部分を取り出すことが決定された。その作業は、素人には思いもよらない困難な作業であることを、TV番組は描いていた。30センチ四方の一部をとりだすだけで不測の事態への対処も含め、5時間もかかった。湿度100%の中でひざまずいたままでの作業、技術と忍耐力、そして冷静な判断力が1300年前の壁画を救い出したのである。はずされた白虎と青龍を見る専門家たちの表情は大きな感動に包まれていた。「すばらしい...」という以外の言葉が見つからない。

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February 1, 2005

The Origin of Species

Charles Darwin
"I have called this principle, by which each slight variation, if useful, is preserved, by the term Natural Selection."

種の起源 第14章

「生命はあまたの力とともに、最初わずかなもの、あるいは、ただひとつのものに吹き込まれ、この惑星が、確固たる重力法則に従い 回転するあいだに、かくも単純なはじまりから、きわめて美しく、きわめて驚くべき 無限の形態が進化し、今も進化しつつある。
この見方の何と壮大なことか....。

もしも生物が進化し続けるとするなら、しょせん人間は長い歴史の中の束の間の存在でしかないだろう。

しかし、人間とは果たしてそれだけの存在だろうか....

人はただ自然にまかせて滅びることはない。何故なら人には、弱い者を、不自由な者を、劣った者を、不利益から守るという叡知が、さずけられているのだから....。」

窶任harles Darwin, "The Origin of Species"

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January 3, 2005

美しきものは正義・・・

古代史ドラマスペシャル「大化改新」

美しきものは正義・・・

December 26, 2004

竹取物語のふるさと

かぐや姫情報

「口頭伝承のかぐや姫
竹取物語と「壬申の乱」
竹取物語(国民文庫)
竹取物語への招待

September 14, 2004

日本人は歴史を知らない?

「そんなことがあったんだ。日本人ってすごいなぁ……」と感心するようなことをこの年になって知ったというのが多い。単にわたしの勉強不足に過ぎないのかもしれないが。ただ、「日本人は歴史を知らない」といったのは、アメリカのビジネスマンたちである。ひとりではなく何人もの人からそんな話を聞いた。もちろん、あるときから私自身も意識してその話を持ち出して聞くようにした。最初の頃はショックであった。自分のことを指摘されているのかとも思った。海外生活をすると自己嫌悪に陥るようなことにも気づく。そのひとつが、「日本人でありながら、日本のこと日本人のこと、歴史・文化・風土にいろんな行事、仏教・神道・禅、歌舞伎に能楽、浄瑠璃、茶道や華道などなど……。英語以前に日本語で説明することさえままならないことに気づくでしょう。説明をもとめられているというより、あいては素朴に質問しているだけなのに、どういっていいのか分からず口をパクパク……と恥ずかしい思いをいやというほどしたものである。これほど自己嫌悪に陥ることはなかった。若いセクレタリーに”I hate myself”と変な英語で説明しようとすると、"You have mental problem"といったかどうか忘れたが、とにかく「自分を憎むということは精神的におかしいことだわ」といいたかったんだろうと解釈して、ますます自己嫌悪に陥った思い出がある。いまは、「思い出」となって懐かしくはあるが。

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September 12, 2004

サッカー奇跡の逆転

先週のNHK番組「その時歴史は」で放送された「奇跡の逆転」を見た。今から72年前のベルリンオリンピック大会で日本の弱小サッカーチームが優勝候補のスウェーデンを破った歴史に残る一戦である。当時、ヨーロッパで大きな話題となり日本の存在感を世界に示したものである。そんな歴史的事件とも言うべきことを、今日の多くの日本人は知らない。なぜなのか?番組では、「戦後GHQがアメリカの人気スポーツである野球を奨励したから……」と言葉を濁したような言い方をしていたのが気になった。私も、この奇跡の逆転をどこかで聞いたような気もするが知らなかったというのが正直なところである。すくなくとも小学校から大学までの教育課程の中で習った記憶はない。同じ戦前の話で、野球の沢村投手の伝説的な話はよく耳にしたが。

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