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(成田空港に降り立ったロドリゲス)
ロドリゲス:機内で隣に座ってた女性が、しずかちゃんの実家は奈良の山奥だと言っ
      てたな。奈良といえば鹿。よーし、鹿せんべいでも食ってみるか

      んん?電話がかかってきた。誰だ?...サ、サラだっ!!しまった、そう
      いや何も告げずに出て来てしまった...。こりゃ、やばいことになったぞ...

      もしもし。うむ。おれだ

サラ   :あなた、大丈夫なの!?いったい今どこにいるの!?昨日の晩から何度
      も電話してるのにぜんぜん出ないから心配で心配で...。

ロドリゲス:ごめんごめん。携帯が折りたたんだまま開かなくなってしまって。今、
      やっとこじ開けたところだ

サラ   :あなたの居場所は誰に聞いてもわからないって言うし

ロドリゲス:そうそう、そうなんだ。悪徳商法のバスに乗せられて「羽毛買え」「買
      わん」の押し問答をくりかえしてたら、朝になってしまったんだ。今、
      やつらから逃げだしたんだが...あれ?ここはどこだ?ユ、タ...なに、ユ
      タ州だと!?こりゃえらく遠くまで連れてこられたもんだ。帰るのに3
      日はかかりそうだな。その間、ゴンザレスよ、母さんを頼んだぞ

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Christmas Radio Stations

EzRock
Listen Live

【PKB ― pot calling the kettle black = 自分のことを棚に上げて】
実際のチャットではこのように使われています。

A: How pathetic of you to play on-line games at Christmas.
B: PKB (= pot calling the kettle black).

A:クリスマスにオンラインゲームしてるなんて、かわいそうなやつだ
B:おまえもな

ロドリゲス:いや〜、新幹線って速いなぁ。あっという間に新大阪駅についてしまっ
      た。車内も快適だったしな。「ビール、おつまみはいかがですかぁ」っ
      てわざわざ回ってきてくれるんだもんな。いや、それにしても、いい足
      の形してたな、あのおねーちゃん。だめだ、いかんいかん!

      さてと、ここから奈良へ行くにはどうすりゃいいんだ?そうだ、誰かに
      聞いてみよう。オレの鍛えぬかれた日本語を試す絶好の機会だぞ。あ、
      あの豹柄の服着たオバさん、暇そうにしてる。よ〜っし…

      アノ、ちょとスイマセン。ワタシ、ナラいきたいです。

大阪のオバちゃん:えっ?ちょっと、なんやて?ナラ?ひゃーこりゃたいへんやわ。
         英語なんてそんなもん、中学以来やってへんからわからへんわ。
         なんや、イクスキューズミーゆうんか?

ロドリゲス:ちょ、ちょっと待てよ…。このオバさんのしゃべってる言葉がまったく
      と言っていいほど理解できん…。おれの日本語はその程度だったってこ
      となのか!?もしや、こ、これがナマの日本語というものなのか!?い
      や、だめだ。ここで怖気づいてはいけない!落ち着け、落ち着くんだ

      ふー、ふー。スイマセン、ワタシ、ナラいきたいです。どうやったら行
      けますですか?

大阪のオバちゃん:ええ?ナラの行き方か?そやな、まず、新大阪駅から大阪駅まで
         出るやろ。そこでうまいこと大和路快速にのれたら、奈良まで1
         本でいけるわ。のれへんかったら、天王寺で環状線から大和路線
         にのりかえなあかんわな

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対話による問題解決、相克する問題の中から新しい論点、視点を見出し解決していく科学的方法に関する本です。Dialogueの父David Bohmの本は必読本でしょう。日本語訳ある?

Bohm, David. Unfolding Meaning. A weekend of Dialogue with David Bohm. Ark Paperbacks, 1985.

Senge, Peter M. The Fifth Discipline: The Art and Practice of the Learning Organization. Doubleday/Currency, New York. 1990.

Bohm
"I would say that in my scientific and philosophical work, my main concern has been with understanding the nature of reality in general and of consciousness in particular as a coherent whole, which is never static or complete but which is an unending process of movement and unfoldment...."
 -David Bohm: Wholeness and the Implicate Order

"Suppose we were able to share meanings freely without a compulsive urge to impose our view or to conform to those of others and without distortion and self-deception. Would this not constitute a real revolution in culture?
 -David bohm, Changing Consciousness, 1992

 コミュニケーションを効果的に行うためには、以下に述べる5つの要素、(1)自己概念、(2)傾聴、(3)明確な表現、(4)感情の取り扱い、(5)自己開示が大切である。これは、JQAセルフアセッサ認定研修において、自分の対人コミュニケーションの特徴を把握するために使用された5つの要素である。これに関してコメントする。各要素の「」の説明は、コミュニケーションに大切なこととして一般に言われていることを引用した。アメリカで一般によく言われることを英語で併記した。

 日本経営品質賞やマルコム・ボルドリッジ国家基準では「対話 DIALOGUE」の大切さを説いている。対話の中から「気づき」を得て、全体最適になる改善に取り組むのだという。それは広義のコミュニケーション手段のひとつであるが、口先や言葉だけで行うものではなく、当事者たちの「全人格的」な相互関係の問題である。

 Interpersonal Communication Skillは、アメリカの学校および社会人教育の基本である。Adult SchoolのカリキュラムにはDialogueとDiscussionとDebate、そしてPresentationやBody Languageといったクラスがある。ビジネス英語のSpeakingとWritingと同様にプロのSecretaryの基本でもあり、昔、私も一緒に受講した。もちろん学校教育の現場でも基本であり、Basic Communicationというのが日本で言う「国語」教育である。英単語をそのまま書いたが、日本語にすると誤解が生じると考えるので、英単語をそのまま書いている。たとえば、Dialogue(対話)とDiscussion(議論)の違いを認識し、共通理解がなされているだろうかと危惧する。さらにいえばDebate(討論?)、Argument(議論?)などをふくめて違いを理解した上でコミュニケーションを図っているのだろうか?

 日本ではこの種の対話の教育はほとんどなされてこなかったのではないか。発表能力とか説得のための技法・技能に走ってはいないだろうか。職場での活発な対話(Dialogue)から真の理解につながるコミュニケーションが効果的になされているだろうかと今一度、謙虚に問い直してみることが大切である。

CONSULGENT 経営コンサルタントの購買代理エージェント

〜経営革新計画での付加価値額とは・・・?〜

 ○営業利益+人件費+減価償却費=付加価値額

 ・営業利益は「利益」を出し、税金を払うように… 
 ・人件費は「人」を雇用するように…(雇用促進になるように)
 ・減価償却費は「設備投資」を活性化するように…(景気向上へ)

 何事も合理的でスピーディなものが尊ばれる昨今、それがスピーディであればあるほど、一方で静思の時というか、ゆったりしたものがほしくなる、これが人情というか、人間の本能的とも言える一つの姿でしよう。だから、これを押さえることは人間の身体や生活を、とんでもなくゆがんだものにしかねないと思います。

 ですから、夜やすむ前、床の上に坐って静かに一日を反省する。やり方はどうあれ、そういう時を持って、一日のケジメをきちんとつけてこそはじめて、そこに安らぎが生まれ、明日ヘの新たな意欲が湧いてくるのではないか。世の中が騒々しくなるほど、そういう静思の時が必要になると思うのです。

……松下幸之助

国土の80%以上が氷に覆われているグリーンランドのイスア地方……イスアとは、「大地が果てて氷に変わる場所」という意味である。地球の中で最も古い岩石地帯として知られている。ここにある、38億年前というきわめて古い岩石から、太古の生命の痕跡が見つかった。発見者は、デンマーク地質博物館のミニック・ロージング博士である。

畳半分ほどの小さな岩…これこそが現在見つかっている最も古い生命の痕跡である。幅30cmほどの黒い部分…ここに世界の研究者たちの熱い視線が注がれている。しかし、どんなに目を凝らしても生物の化石が見えるわけではない。



その生命は顕微鏡サイズであった。倍率を上げると黒い粒が無数に見えてくる。これは炭素の粒で、分析の結果38億年前の生物の体を作っていた材料らしいと分かった。体長は1ミリの百分の一以下、現在のバクテリアに似た微生物だったとロージング博士は推定している。


38億年前、そこは水深数百メートルの静かな海の底だったと考えられている。水中を漂うようにしてその生物は暮らしていた。海中の炭素を含む栄養分を取り込み体を作っていたと考えられている。


PAGES - Past Global Changes

PAGES (Past Global Changes) supports research aimed at understanding the Earth’s past environment in order to make predictions for the future. We encourage international and interdisciplinary collaborations and seek to involve scientists from developing countries in the worldwide paleo-community. PAGES' scope of interest includes the physical climate system, biogeochemical cycles, ecosystem processes, biodiversity, and human dimensions, on different time scales窶捻leistocene, Holocene, last millennium and the recent past.

PAGES, founded in 1991, is a core project of the International Geosphere-Biosphere Programme (IGBP) and is funded by the U.S. and Swiss National Science Foundations, and the National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA). It is overseen by a Scientific Steering Committee comprised of members chosen to represent the major techniques and disciplines, while at the same time providing regional geographic representation.

スーパープルームが地球を変える −地球変動原理の解明に向けて−
平成7年度より科学技術振興調整費総合研究において地球変動原理の解明を目的として「全地球ダイナミクス:中心核に至る地球システムの変動原理の解明に関する国際共同研究」を実施してきました。本研究では、地震観測及びその解析、地質調査及び岩石学的研究、シミュレーションを行い、億年単位で地球が変動する原理をマントル全体及びその下の核まで考慮して総合的に解明してきました。

「プルームテクトニクス理論」は本研究の代表者である東工大理学部丸山茂徳教授が平成6年に提唱した理論で、「プレートテクトニクス理論」では説明ができなかったプレート運動など地球表層で起こる地学現象の原動力を説明するものです。本研究の成果により、初めて、「プルームテクトニクス理論」が検証・確立されました。平成11年度から教科書に本理論が掲載されるなど、一般的にも広く認知されつつあります。
文部科学省 −第217号− 平成13年3月26日

古環境(用語解説)

高等学校理科総合>地球内部の変動

経営・事業の目的とはなにか?

「事業の唯一の目的は、利潤ではなく、「顧客価値創造・維持」にこそ求められ、
 そのための事業の機能は、マーケティングとイノベーションである。」

経営の目的は、これに加えて

  • 社員の価値(満足)の創造
  • 社会からの信頼の創造

  • である。利益は経営目標以上、以下でもない。


    Drucker Archives : Homepage

    Management: Tasks, Responsibilities, Practices
    Management is an organized body of knowledge. "This book," in Peter Drucker's words, "tries to equip the manager with the understanding, the thinking, the knowledge and the skills for today's and also tomorrow's jobs." This management classic has been developed and tested during more than thirty years of teaching management in universities, in executive programs and seminars and through the author's close work with managers as a consultant for large and small businesses, government agencies, hospitals and schools. Drucker discusses the tools and techniques of successful management practice that have been proven effective, and he makes them meaningful and easily accessible.

    Henry Mintzbergが考えるリーダー育成

  • MBAが企業のトップをつくるのではない。
     リーダー、マネージャは教室では作れない。
  • 自分の仕事や経験をふりかえる(Reflection回顧、よく考える)
     ことから実践的マネジャは生まれる。
  • 実践、修羅場体験、個々人の経験(キャリア)、
    そして自己のふりかえりを重視したリーダー育成が必要である。

    リーダーシップ開発のポイント

    シェイクスピア

    この世界はすべてこれ一つの舞台、
    人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ、
    それぞれ舞台に登場してはまた退場していく、
    そしてそのあいだに一人一人がさまざまな役を演じる。

    「お気に召すまま」第2幕第7場/ シェイクスピア 
    小田島雄志訳(以下同様)

    今日お昼の時間に「嵐が丘」にまつわる話を書いた。夕食後、ブロンテ姉妹の生い立ちが気になったのでBronte Sisters - Haworthを調べた。そして、二つの符号に気づいた。

    ひとつは、「嵐が丘」が出版されたのは、私が生まれた年からちょうど100年前であるという事実(あっ、私の歳がばれた(笑)…「性ホルモンで10才若返る」を心がけているから、七掛け人生で39歳だと自称しておく)。

    もうひとつ、なんと今日がエミリー・ブロンテの命日である。まったくの偶然である。しかし、エミリーが死後の世界からヒースクリフに語りかけたのと同じように、あたかも今日この日に私に筆をとらせたのではないかと不思議な因縁を感じる。

    Brontes Chronology  Biography - Emily Bronte

    emily2.jpgエミリー・ブロンテ(Emily Jane Bronte) 1818−1848

     ハワースの牧師館で読書好きの娘時代を送り、架空の国アングリアやゴンダルを舞台にした物語に想像の翼をひろげ、創作に向かう。18歳のときに教師となるが半年でやめる。1842年、姉のシャーロットとともにブリュッセルに半年間遊学。以後はハワースで暮らし、詩や散文の執筆に励む。1846年に妹のアンを含めた三姉妹で詩集『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』を自費出版した。翌年『嵐ヶ丘』が出版されたが、評判はかんばしくなかった。そうした中で喘息を病み、明くる年の12月19日に30歳で死去。(「英米女性作家」 ミネルバ書房)

    No Coward Soul is Mine
    「私の魂は臆病な魂ではない、
     この世のあらしの中で震える魂ではない」

    サマセット・モームの言葉(「世界の十大小説」より)
    「『嵐が丘』は例外的な作品なのである。同時代の他の小説とは、いささかの関係も持っていない。出来映えはひじょうに悪い。だが、同時にひじょうにすぐれてもいる。醜く忌わしい。だが、同時に美しくもある。恐ろしい、読む人を苦しみ悩ませる、力強い、情熱にみちた書物である。」

    Wuthering Heightsの一節から
     'My love for Linton is like the foliage in the woods. Time will change it, I'm well aware, as winter changes the tree - my love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath - a source of little visible delight, but necessary. Nelly, I am Heathcliff - he's always, always in my mind - not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself - but, as my own being - so, don't talk of our separation again - it is impracticable; and -'
     She paused, and hid her face in the folds of my gown ;

    ★この作品の著作権はなくなっている。読みたい人は、ここからダウンロードできます。

    Visit Bronte Country, Haworth, Keighley, West Yorkshire, UK


    嵐が丘...それは青春の甘い香りであった。ヒースクリフとキャサリンの苦しく切ない愛の物語であり、あの世とこの世の境を彷徨い、断ち切れぬ想いを抱いてなお生きる男の暗い物語でもある...と記憶しているが、正直その物語の内容はよく覚えていない。ただ、青年期の若者の心の琴線に触れるものがあることは確かである。

    高校生の頃に読み、「物語の主人公で、同情心と敵愾心の両方を感じた主人公はこのヒースクリフが最初である...」と日記に書いたのを覚えている。そして、抒情豊かに描かれたヒースの丘を駆けるヒースクリフとキャサリンの姿がいまも瞼に焼き付いている。映画を見たことはない。30数年前に読んだ本がこれほど印象深く残るのは、やはりイギリスの古典文学を代表する作品に値するからであろう。そう思うのは私だけではないようで、イギリスを旅する機会にブロンテ姉妹の作品の舞台になった村を訪ねる日本人が多いそうである。


    「嵐が丘」を書いたエミリー・ブロンテ、「ジェーンエア」を書いた姉のシャーロット・ブロンテが暮らし、そして短い一生を終えた土地、ブロンテ・カウントリの歴史案内をみると、ヨークシャー州の観光名所で日本語の案内があるのはHaworth Village(ブロンテ姉妹が暮らした村)だけだそうである。

    この土地を訪れ、ヒースの丘を歩き、19世紀半ばに書かれた愛の物語に思いを馳せたいと思ってきたが、いまだにその願いはかなえられていない。ICQで知り合った人が新年にイギリス旅行をするというのを知り、またこの「嵐が丘」に気を引かれ、インターネットでその地理的位置と歴史や観光スポットを調べながら、ブログしているというわけである。

    ある晩、本棚を見てふと手にした「嵐が丘」...中央公論社出版の当時としては豪華な装丁の赤い表紙の本である。月一回配本の「世界の文学」シリーズの一冊で、この全集を購読したいがためにアルバイトに精出したのであった。一度読んだ「嵐が丘」をまた読み出したら止まらなくなり、最後まで読み返してしまった。春にはまだ早い寒い夜であった。窓の外を見ると雪が降っていた。少し仮眠して新雪を踏んで出かけた。三月三日、大学受験の日であった。大事な受験日の前夜であることを忘れさせるほどの感動と興奮を与える本である。


    1801. - I have just returned from a visit to my landlord - the
    solitary neighbour that I shall be troubled with. This is
    certainly a beautiful country! In all England, I do not believe
    that I could have fixed on a situation so completely removed from
    the stir of society. A perfect misanthropist's heaven: and Mr.
    Heathcliff and I are such a suitable pair to divide the desolation
    between us. A capital fellow! He little imagined how my heart
    warmed towards him when I beheld his black eyes withdraw so
    suspiciously under their brows, as I rode up, and when his fingers
    sheltered themselves, with a jealous resolution, still further in
    his waistcoat, as I announced my name.

    発掘あるある大事典IIWEBSITEというテレビ番組をみた。今回のテーマは、老化を防ぎ実年齢よりも若く元気になるためには、性ホルモンを活性化させることだという。そのための秘訣4Kを紹介していた。


    • 興味...好きなことに熱中する。
    • 筋肉(男)...体を鍛え筋肉を使う。
      嗅覚(女)...アロマセラピーでリラックス。 三陰交を刺激する。
    • 恋をし、ときめくこと。 バーチャルでも良い。
    • 感動・感激する

    ICQというインスタントメッセンジャを知っていますか?
    AOLメッセンジャのオリジナル版で、MSNやYahooも類似のサービスをしている。

    昨日、古い手帳を整理していたら、昔使っていたインターネットの各種サービスのIDメモがあった。そこにICQの会員番号を見つけた。たしか7年前に加入し、世界の人々と話し情報交換をした記憶がよみがえってきた。その後身辺があわただしくなり、5年ほど前にいつとはなく止めた。懐かしくなって、いまどうなっているかを調べたらそのサービスは健在であった。ソフトをダウンロードして早速かつての会員番号でログインしてみた。ログインできました!!!5年間の眠りから復活したのはちょっとした感動でした。ICQサーバーに私の会員情報が眠っていたのです。

    このICQはこんにちのP2Pの原型でもあり、驚異的なスピードで増殖したのを記憶している。ICQのサイトを調べて記憶をたどると、たとえば当時急成長していたAOLではその会員数が100万人に達するのに3年かかっているのに対して、ICQではわずか半年で100万人の会員数に達している。

     96年7月 イスラエルのYair Goldfingerたち若者4人がMirabilis設立
     96年11月 ICQ(I Seek You)サービス開始
     97年6月 登録ユーザ100万人、同時オンラインユーザ数10万人
     98年6月 AOLが買収

    ICQのダウンロード数は、2000年6月時点で1億件(CNET)に達し、2年後の2002年5月には2億件を記録している。一日に800万人がログインしており、同時オンラインユーザ数は世界243カ国、200万人であるという。またわたしの好奇心がうずき、ICQの世界に引きずり込まれる予感がする。

    なお、昨日のブログは、このICQ会員情報の中にあったworldsaway.comの現在を知りたくてクリックしたら例のfor saleを発見したというわけである。

    Buy Domains
    この記事はいずれなくなりリンクが切れると思い、そのページの一部を下記に引用した。

    Request Price for worldsaway.com

    We will only respond to serious requests that are complete and accurate. Any submissions with false or unverifiable information will be deleted.
    The quoted price will be at least $688 and may be over $10,000. Due to high demand and decreasing availability, the prices of Premium Domains are rising weekly.

    You will receive a price quote within 3 business days by email or telephone. If you receive a quote via email, the subject will read: "Price Request For worldsaway.com". This is not an auction. The quoted price is a one-time fee only. You will be able to purchase this domain on the spot by credit card for the quoted price.

    Please only fill out this form if you intend on buying in the next 30 days.

    Thanks for choosing Buy Domains !

    10年前、私の先輩・同僚たちが新しい事業の開発に情熱を燃やしていた。Virtual Worldというアバタを使った夢のある仮想空間でのコミュニティサービス事業である。

    この核となったテクノロジーはルーカスフィルムのソフトウェア部門が1980年代末に開発した。当時私は駐在員として米国シリコンバレーを拠点に活動しており、日本側の要請を受けて同社とのライセンス契約折衝に随行した。サンフランシスコから101号線を北に2時間近く車で走ったところに「ルーカスバレー」がある。101号線から外れ山間の道をさらに30分ほど入ったところにルーカスのソフト開発拠点があった。

    時が流れて90年代前半。このテクノロジーを買い取り、初期の開発者たちを採用して、その当時の新しい技術とインフラを採用して新たな開発が始まった。そして事業化への挑戦が開始されたのである。同じ頃、私はコネチカット州スタンフォード(Xerox本社があるところで知られ、マンハッタンから北へ約1時間)にあった某社のリストラ担当社長としての職務に忙殺されており、Virtual Worldビジネスとは無関係であった。ただ、ルーカスバレー訪問時の印象が強いためか、なぜか気になるプロジェクトであった。そして、日本側のセクショナリズムと海外ビジネス環境に関する知識・経験の乏しさがマイナスに働かなければいいのだがと心配でもあった。

    そして、さらに数年が経った。時まさにインターネット革命の激動の真っ只中にあった。奇しき縁としか言いようがないが、そのVirtual Worldのビジネスユニットがある会社の経営を担当することになった。これ以外に当時業界のバズワードであった「グループウェア」、「オブジェクト指向」、「Webサービス」といった領域での事業開発にも積極的に取り組んでいる会社であった。私の任務は複雑ではあったが、単純化して言えば複数の事業を再構築をして業績をプラスにすることであった。今思えば公私共に、人生最大の修羅場であったとしか言いようがない。この間の事情は、時効を待って話をつないでいきたいと思っている。

    話を戻すと、Virtual Worldビジネスへの挑戦者たちは、あの生き馬の眼を抜くような競争環境の中で孤軍奮闘していた。この新しい業界においては明らかに先行し、リーダーとして、追い上げられる立場にいた。そしてそのビジネス環境は2〜3年の間に大きく変化しており、さらなる変革の波についていけなくなっていた。端的に言えば、恐ろしいまでのスピードで進展するインターネットの技術革新とインフラ整備、そして社会への浸透スピードに追いつかなくなって、技術そのものが急速に陳腐化していた。しかし当事者たちはその変化に気づかない。気づいても、新たなテクノロジ^採用で乗り切るための新たな投資が期待できない状態であった。競争相手は、ベンチャーキャピタルから潤沢な資金を調達して内外の技術革新の波に乗り、ビジネスモデルを変えながら新たな知見を得てさらに変化していく。

    この変化の波に乗れないことは致命的である。この変化は何であったかは別の機会に論じたいが、それは突然やってきた。CompuServeが新興企業AOLに買収されたのである。Virtual World事業は、CompuServeネットワークインフラの上に構築されており同社と一蓮托生の関係でもあった。アカウンティング機能(顧客管理・代金回収・契約など)はCompuServe依存で、事業収入は同社の売上に比例したロイヤリティがすべてであった。

    AOLの買収の結果、何が起きたのか?価格破壊である。Virtual World運営の収入は、会員が毎月支払う会費である。十数ドルから二十数ドルが一般的であった。それが買収後、約40%切り下げられたのである。事業が立ち行かなくなるのは誰の眼にも明らかであった。AOLやWorldCom(CompuServe通信インフラ買収)にとっては何の痛みもない。ビジネスモデルがまったく異なり、企業戦略の実行上のひとつでしかなかった。しかし、他力本願で契約上のリスク管理も怠っていたVirtual World事業は一挙に崩壊の危機に至ったのである。

    その後の顛末についてはここで言及するだけの紙面の余裕がないが、その後のCompuServeそして勝ち組であったAOLとWorldComがたどった興味深い軌跡もふくめて、別の機会に書き留めたい。CompuServeとは、当時から遡ること10年の因縁もある。98年2月、CompuServeのCEO(当時)と一緒にオハイオ州コロンブスにある同社の本社でSteve Case(当時AOLのCEO)とあったときの彼の冷徹な眼の光と時代の動きを見切っているような自信に満ちた話し振りが印象深く残っている。


    長々と書いたが、このVirtual Worldにかかわる話は、その後の経緯を含めて、私の心に強く刻まれている。そのプロジェクトの名前が、タイトルの中にある"WorldsAway"である。そして、このテクノロジ-を使って開発したサービスはDreamScapeなどの名前で呼ばれていたが、原点となるサービスのドメイン名が、worldsaway.comなのである。それが売りに出された!!!(Buy Domains)
    最低価格は688ドル(約7万円)、場合によっては1万ドル以上になるかもしれないとアナウンスされている。

    この記事を別のことが契機で偶然発見した。そして、手の動くままにキーボードをたたき、長々と書くことになってしまった。ショックというのではないが、歴史がいま終わろうとしているという感慨に捕らえられた。

    RFIDテクノロジ : 米MITオートIDラボが取り組むRFID普及への課題(最終回-3)

    MITオートIDラボでHRI(ヘルスケアリサーチイニシアティブ)関連の研究に従事する稲葉さんの報告である。筆者は、かつて企業間通信の業界標準化団体ロゼッタネットで働いたことがあり、このときの日本企業の関心の高さと活発な活動から比較すると、Auto ID, EPC, HRIなどでの日本企業の存在感は薄いと嘆いている。日本からの積極的な参加を呼びかけている。この記事のバックナンバーはこちらです。

    ロゼッタネットジャパンの現在の活動については知らないが、本家のRosettaNetは、UCC(Uniform Code Council, Inc.の略)配下の非営利団体として、世界から100社が参加して活動している。

    余談であるが、UCCの業界標準であるUPC(Uniform Product Code)が最初に使われたのがWrigleyチューインガムである。1974年6月26日、米オハイオ州トロイ市にあるMarsh Supermarketで初めてスキャンされたとのこと。1999年に25周年記念式典がスミソニアン博物館で開催された。


    The Wrigley BuildingThe Wrigley Building
    シカゴを代表する建築物のひとつで、ミシガン通りのシカゴ川に面している。1921年竣工。

    WoodenSoldier Software フリーソフト & プログラミングにつぎのソフトウェアがある。簡単にインストールでき、パソコン生活を楽にしてくれるのでおすすめです。ソフトウェア開発者向けの内容もあるが、これは私の能力を超えているので意見はいえない。

    1.Mail Distributer
     同報メールを簡単に管理、送信できます。同報したい仲間の数が多いとき、同報グループが複数あるような場合に便利で、連絡網を効率的に管理できます。マーケッティングにも使えるが、スパム(迷惑メール)を送ることにならないようにすべきである。

    2.ID Manager
     インターネット上で発行される複数のIDとパスワードを管理するソフトウェア。インターネット千勝が長く熟達してくると、数多くのIDとパスワードを記憶し管理するのが大きな悩みになります。これを一括管理してくれる便利なツールです。

    いずれもフリーソフトです。WoodenSoldierさんに感謝!!!人の役に立つソフトウェアを作るという人生のひとつの目標を若くして実現している。その志に拍手を送る。私も見習わないといけない。

    会議が終わった後、有隣堂に立ち寄る。新刊書のコーナーで目に付いた本の一つが「こうして私は世界No.2セールスウーマンになった」である。

    この本を買うつもりはなかったが、その背景にあるストーリに関心をもった。著者は、ブリタニカ社の営業ウーマンとして世界第二の売り上げを記録し、本社営業部長にもなった。30歳前半で年収3800万円・・・その仕事も卒業し現在はコンサルタントや講演活動に従事している。


    立ち読みで印象に残った著者の言葉がある。

    1.挫折は人を大きくする(大変つらい目にあっている)
    2.自分ではもう歩けないと思ったら、だれかのために一歩でも前進してください。
    3.目の前にあることに向かい合ってください。

    これらの言葉は、実は著者の、亡き母親からのメッセージであり、著者がキャリアウーマンへの道を歩むときの支えになったという。

    Vincent FioreさんのHPでユーモラスな画像をみたので紹介する。
    つい笑ってしまいます。

    「スパム(迷惑メール)は増える一方だ。すべてのインターネット・メールに対するスパムの割合は,2001年は8%だったが,2004年には65%になった。それというのも,スパム送信業者が大もうけをしているためだ」――。米Symantecのネットワーク&ゲートウェイセキュリティソリューション担当上級副社長のEnrique Salem氏……>>「スパム送信業者はもうかる,だからスパムは増える」

    単純明快である。スパム業者は一社で一日2億件送信しているという。数打てば当たる論理の商売で、ソフトウェアで作り出したメールアドレスの0.001%が当たれば利益が出るという。実に迷惑な話である。
    このサイトもスパム(迷惑書き込み)に悩まされた。数日で数百件の書き込みがあった。とりあえず、コメントを出来ないように設定し、さらにトラックバックやピンの機能も使えないようにした。目障りなコメント数百件も削除した。しかし、これではブログの良さがなくなる。まるで、バーチャルワールドに住む透明人間みたいなものである。

    原因究明に努力しているが、素人ゆえに手探りの試行錯誤である。そのなかで疑わしき不審なファイルを二つ見つけた。過去の記事を格納しているArchivesディレクトリにそれはあった。FTPでは読めなかったのでサーバサイドで読めるようにして中身をみると、webreference.comから送り込まれたJavascriptで、なにやらcookiesを読み書きしているようである。いづれにしろJava言語能力のない私には手に負えない。ここは「疑わしきは罰すべき」との決断で、システムが動かなくなることも覚悟して削除した。

    ……恐る恐る再度立ち上げた。何とか動いた。ほっとした。これが原因だったかどうかは分からないが、こんなファイルが書き込まれるはずはないので関係していたことは確かであろう。ただ、なぜどうして書き込まれたのか今もって分からない。元エンジニア、元研究者の血が騒いで困る!? といいながらたのしんでいる(笑)

    Xoops Bloggers - ニュース
    神聖ローマ帝国を象徴するケルン大聖堂は650年もの長きをかけて建設された。いま、そのライン川対岸に高さ103メートルの構想ビルが建設されている。経済発展を促進することを理由に、さらに数本の高層ビル建設の計画がある。第二次世界大戦の戦火をくぐって生き抜いてきたケルン大聖堂の土地景観を変えようとしている。

    経済発展は、現在生きている人類の贅沢のためにある。このために、過去から未来の人類に残された遺産を壊していいのか?

    世界遺産は何千年もの時の流れの中で人類が生み出してきた。現在生きている人類が壊すことは許されない。この20世紀ほど多くの世界遺産を壊した時代はない。その意味では、われわれ現代人はもっとも野蛮であると言わねばならない。


    ケルン大聖堂
    正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂。


    1248年に建設がはじまったが一度途絶し、正面ファサードの塔がひとつしかない状態が続いた。近世のゴシック・リヴァイヴァルによってケルン大聖堂に注目が集まり、もうひとつの塔が建造された。1880年、完成。600年以上建設にかかった。世界で最も長い時間をかけて建造された建物のひとつであろう。

    1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。

    2004年、周辺の新建築物による景観破壊の危機にさらされ、危機遺産に指定された。